「かわいそうな子」なんて言わないで。4歳で脳腫瘍と診断されたわが子が始めたレモネードスタンドが日本中に広まって
アメリカに住むアレックスちゃんという少女の話をご存じですか? 1歳で小児がんを発病したアレックスちゃんは、4歳になったとき自宅の庭でレモネードスタンドを開き、その売り上げを小児がんの子どものためにと病院に寄付したといいます。
その話を聞いた榮島(えいしま)四郎くん。3歳のときに発症、5歳で脳腫瘍が見つかったがんサバイバーである四郎くんは、小学校3年生のときに地域のお祭りでアレックスちゃんと同じように子どもレモネードスタンドを開きました。
四郎くんが踏み出した一歩は、おかあさんの佳子さんや家族、小児がんの友達や地域の人の助けも借りて、「みんなのレモネードの会」としてその活動が日本中に広がりました。
特集「たまひよ 家族を考える」では、妊娠・育児をとりまくさまざまな事象を、できるだけわかりやすくお届けし、少しでも子育てしやすい社会になるようなヒントを探したいと考えています。
前編の 「『頭が痛い』ある日突然、わが子が小児がんと診断された。元気に成長していく姿を思い描いていたのに」に続いて、四郎くんのおかあさんであり、一般社団法人「みんなのレモネードの会」代表理事である榮島佳子さんに話を聞きました。
(上の写真はレモネードを売っている四郎さん)
たくさんのメディアにも取り上げられた子どもレモネードスタンド
――― 四郎さんが子どもレモネードスタンドを開いたきっかけを教えてください。
退院して4年ほど経っていろいろなことが落ち着いてきた頃に、たまたま地域のクリスマス会で模擬店の出店者を探していると耳にしました。
もともと、がんであることを伝えるために、小児がんについて書かれたいろいろな絵本を読み聞かせていました。そのなかに、小児がんになったアメリカのアレックスという少女が「レモネードを売ったお金で病気の子どもたちを救いたい」と自宅の庭にレモネードスタンドを開いたという実話を基にした話があって、「いつかレモネード屋さんをやれたらいいね」と話していたんです。
四郎に小児がんであることを受け止めて欲しかったし、たくさんのことに挑戦してほしいと思っていたので、「クリスマス会でレモネードスタンドやってみない?」と声をかけたところ、すぐに「やりたい」と言ったんです。四郎が小学3年生のときのことです。それが始まりでした。
「『やる!』と言ったからにはあなた自身でやりなさい」と、チラシを書いたり、そのチラシを学校に持って行ったり、町内会長にお願いして町内の掲示板にチラシを貼らせてもらったり、全てを四郎にやらせました。
当日は100杯の予定が350杯もレモネードが売れました。決して得意とはいえないことに挑戦したことで四郎も自信がついたようです。
子どもレモネードスタンドから小児がんの子どもが集うみんなのレモネードの会へ
――― それが今の「みんなのレモネードの会」に発展していくのですね。
初めての「子どもレモネードスタンド」にはたくさんの人が来てくれました。四郎が「子どもレモネードスタンドをやります」と新聞社宛に手紙を送ったことでたくさんのメディアにも取り上げられました。
何より驚いたのは、新聞記事を見た小児がんの子どもたちが集まってくれたことです。そういえばそれまで小児がんの子どもたちが実際に集まる場はなかったなと思いました。それなら小児がんの子どもたちが集ったりつながったりできる場を作れたらいいなと「みんなのレモネードの会」を立ち上げました。最初は年に1〜2回の活動が、5回、6回と増えて、少しずつ仲間も増えていきました。
そのうちに本好きな子が集まって読書部、UNO好きな子のUNO部、私の実家のある岡山でお泊まり会などの活動が広がっていきました。知らず知らずのうちに、小児がんの子どもたちの支援が始まっていたんですね。
コロナ禍での活動はオンライン。全国からたくさんの小児がんの子が参加可能に
――― 「みんなのレモネードの会」は、約4年の活動を経て2020年には法人されました。
危惧していたのは、四郎が「みんなのレモネードの会」のシンボルになってしまうことです。「『みんな』のレモネードの会」なので、ひとりの子ががんばったり、会の象徴みたいになったりというのは良いことではありませんし、お金の面でもしっかり管理しなくてはいけないと考え一般社団法人を設立しました。
――― 2020年というとコロナ禍の真っ只中ですが、どのように活動しているのですか?
コロナ禍ということですべてをオンラインに切り替えました。月1度のオンライン交流会では、これまでの読書部やUNO部に加えてミュージカルで遊ぼう部、保護者は絶対に参加できないティーンエイジャーおしゃべり部もできました。毎週月曜日にはオンライン自習室を開いて、未就学児から20代前半までの20人くらいのメンバーが集まって、それぞれ勉強したり、お絵描きしたり、折り紙を折ったりしています。オンライン化したことで、北は宮城から南は沖縄までさまざまな地域の子たちが参加してくれるようになったのはうれしいですね。
もうひとつ、2017年から小児癌を経験した子どもたちが、お世話になった病院にクリスマスプレゼントを届ける活動もしています。今年(2021年)は全国22の施設に子どもたちがクリスマスプレゼントを届けました。
小児がんの子どもやそのきょうだいを支援するという活動の目的は当初から変わっていませんが、最近は、より「みんなのレモネードの会」がすべき支援がより明確になって活動しているという感じです。
――― 同じ境遇の人たちが安心して集まれる場所なんですね。
子どもが入院していると身近に同じような病気の子どものおかあさんもいるのですが、退院すると同じような境遇の人にはなかなか会う機会がありません。四郎が診断された脳腫瘍は治療法も一人ずつ違いますし、大きくなって社会に出て行くという課題も抱えていますから、ちょっとした相談ができる場所はとても大切だと考えています。
地元ではなかなか同じ病気や境遇の人には会えないので、オンラインでみんなとつながれることで勇気づけられています。
――― 会を運営するうえで大切にしていることを教えてください。
「みんなのレモネードの会」は、患児もきょうだい児も分け隔てなく同じように支援するということを大切にしています。そうすることで支援できる数は減ってしまいますが、プレゼントをするときには、病気の子どもだけでなくいっぱい我慢してきたきょうだいたちにもと思っています。
仕事をしながら会を運営するのは正直大変なこともあります。でも、オンラインで子どもたちの楽しそうな笑顔を見ていると、その疲れも吹っ飛んじゃいます。
オンライン化したことで、一度も会っていないけれど友達という子も増えましたね。施設にクリスマスプレゼントを届けるときに、普段オンラインでしか会ったことのない子どもたちが「やっと会えたね」という場面もあって、改めて素敵だなと思いました。
小児がんも多様性のひとつ。かわいそうな子ではない
――― もし周囲に小児がんの子どもがいたときに、私たちが気をつけたり、サポートできたりすることはありますか?
実際に小児がんにはたくさんの種類がありますから、私自身も全ての治療法や障害など知らないことばかりです。まずは知るということがとても大事だと思うんです。小児がんについて聞くのは難しいし、声をかけづらいかもしれませんが普通に接してほしいです。
そして小児がんだからといって、「かわいそうな子」とか「大変な人」にはしないでください。いまジェンダーニュートラルの観点から、異性が好きな子、同性が好きな子、両方が好きな子、男の子でもスカートをはきたい子など、ありのままの姿、多様性を認めようという動きがありますが、とても素晴らしいことだと思います。同じように小児がんである子どもたちのありのままの姿、多様性を認めていただければうれしいですね。
自分の普通はだれかの普通ではないということは、小児がんの子どもだけでなく、生きていく過程で誰もが必ずぶつかる問題ですから。
取材・文 米谷美恵
榮島佳子さんプロフィール
一般社団法人みんなのレモネードの会代表理事
2016年、小児がん患児家族の立場から、小児がん患児・きょうだい児の支援団体を立ち上げる。2020年4月法人格取得。「小児がんのことをもっと知ってほしい」「患児や患児家族でつながりたい」と小児がん啓発活動、患児やきょうだい児の交流会などを開催している。2021年秋には、きょうだい児の日常を描いた絵本『ぼくはチョココロネやさん』(生活の医療社)を出版。神奈川県横浜市在住。2児の母。鍼灸マッサージ師。