「パパ、なんで打たれたの?」25年の現役生活支えた“友だちみたいな”親子関係【横浜DeNAベイスターズ・三浦大輔監督】
現役時代はエースとして、そして2021年シーズンからは監督として、横浜DeNAベイスターズの「顔」であり続ける三浦大輔監督。実は10年ほど前にベスト・プラウド・ファーザー賞(プロ野球部門)を受賞していたこともあります。三浦監督はいったいどんなパパだったのでしょうか。長女・長男の2人の成長へのかかわり方について聞きました。
子どもの散髪に挑戦するも「のれん」状態に
――三浦監督の長女・長男は2人とも成人とのことですが(長女25歳、長男21歳)、現役時代はどんな子育てをされていましたか?
三浦監督(以下敬称略) シーズン中は遠征が多く、キャンプ期間中は1カ月間家にいなかったので、子育てに充てる時間をあまり取れず、ほとんど女房に任せっきりでした。女房は大変だったと思います。おむつ替えなんかも数回程度しかやった記憶がありません。それでもシーズンオフなどで家にいるときは、一緒に遊んだり、おふろに入れたりしていました。おふろでうんちをされてしまったことも今となってはいい思い出です(笑)。
――子育て中の失敗エピソードなどありますか?
三浦 そんなこんなで、あまり育児はできてはいなかったのですが、ひとつ忘れられない失敗があります。息子がまだ小さいころに散髪に挑戦したんです。すきばさみを使えば簡単だろう、と息子の前髪を切ったところ、のれんみたいになってしまって…(笑)、大失敗でした。だれが見てもおかしな髪形になってしまって、あわてて美容院に連れて行って、「何とかならない?」とお願いしてどうにか見られるように整えてもらいました。それからはもういっさい子どもの髪をいじらないことにしました。息子の記憶にないくらい小さいころのことでよかったです。変な髪型にしてしまって本当に申し訳なかったですね(笑)。
――当時はあまり子育てができなかったということですが、「こういうことをしたかったな」ということはありますか?
三浦 今は早起きできるようになりましたが、若かったころは昼前くらいまで寝ていることが多々ありました。その点は、むしろ女房が気をつかってくれていて、子どもが夜泣きをしてもすぐにあやして僕が起きないようにしてくれたり、ゆっくり休めるように寝室を別にしてくれたりしていたんです。ナイターで疲れていたとはいえ、生活リズムは崩れていました。今みたいに早起きできれば、午前中は子どもと遊んであげたかったですね。シーズンオフは旅行などでなるべく家族の時間を作るように心がけていましたが、もっとレジャーなどで家族の時間を作れたらよかったかもしれません。
――パパがプロ野球選手だったことで、子どもたちは特別な経験もできたのではないでしょうか?
三浦 夏休みにどこかに連れて行ってあげることもできないし、その点はかわいそうだったなと思います。ただ、選手が自分の子どもを横浜スタジアムに連れてきて、グラウンドで遊ばせたり、試合が終わって食堂で待機している家族同士が交流していたりといったこともありました。そういった、プロ野球選手の子どもならではの機会はあったかもしれませんね。今は、新型コロナでそういった機会は減ってしまいましたが・・・。
三浦家も驚いたベスト・プラウド・ファーザー賞
――奥さんは高校の先輩と聞きました。どのような方ですか?
三浦 本当にしっかりしていて、なんでも任せられる存在です。一家の大黒柱。三浦家は僕がいなくてもまわりますが、女房がいないとまわりません(笑)。僕と同じ奈良出身で、最初は横浜に土地勘がなく、僕が遠征中のときなどは1人で大変な思いもさせたと思います。両親もすぐに来られる距離ではない。そんな状況でもずっと家庭を守ってくれました。感謝の気持ちしかないです。
――そんな三浦監督ですが、2013年には「ベスト・プラウド・ファーザー賞inプロ野球部門」を受賞されています。
三浦監督 もう10年も前のことになりますが、そんなこともありました。その当時でも父親としての自己評価は0点なので「俺が!?」と、とてもびっくりしましたね。もちろん家族もびっくりしていました(笑)。でもなんでもらえたんだろう、と考えると、親だからえらいとかではなく、自然体でつき合っていたことがよかったのかもしれません。友だちみたいになんでも話せるように、とは考えていました。今でも、娘も息子も友だちみたいに接してくれていると僕は思っています。子どもからはどう見えていたのか、いるのか、聞いてみないとわかりませんが・・・。
――三浦監督は25年という長い期間、現役生活を送っていました。その原動力には、やはり家族の力があるのでしょうか?
三浦 それは間違いなくあります。なによりもいちばん応援してくれているのは家族。勝った日は「おめでとう!」と言ってくれるし、負けた日は「どうして打たれたの?」とストレートに言ってくる(笑)。そうした日々のやり取りが原動力でした。僕の目標は、子どもの記憶に残るまでにマウンドに立ち続けることでしたが、結果的に自分が思っていたよりも長くその姿を見せることができました。よく球場に応援にも来てくれましたし、監督になってからも来てくれています。育児をしながらプレーする現役の選手たちも、時間のあるときは奥さんの手助けをしつつ、グラウンドでは子どもたちにかっこいいところを見せられるよう頑張ってほしいですね。
――最後に、2023年の目標をお願いします。
三浦 昨年は2位という結果となり、悔しいシーズンになりました。今年は日本一を成し遂げて、みんなで喜びたいです。
お話・写真提供/三浦大輔監督 取材・文/香川誠、たまひよONLINE編集部
ほとんど育児に参加できなかったという三浦監督ですが、子どもたち2人とも成人した今もとても仲よしな様子。家族4人がそれぞれ多忙ななか、たまたまみんなのスケジュールが1日あいて、昨年のシーズン終了直後には1泊2日の温泉旅行に出かけたのだそうです。一緒に過ごす時間が短くても、家族同士の思いやりがあれば、よき親子関係を築くことができる。そんなことを教えてくれているようです。監督が温泉につかる貴重な姿は、監督のインスタグラムにもアップされています。
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三浦大輔監督(みうらだいすけ)
PROFILE
1973年12月25日生まれ、奈良県出身。現役時代は投手。右投げ右打ち。奈良県の高田商業高校を経て、1991年にドラフト6位で横浜大洋ホエールズに入団。プロ1年目から始めたリーゼントヘアが話題となり、「ハマの番長」のニックネームでファンに親しまれた。横浜一筋の25年間で通算172勝。最優秀防御率、最多奪三振(ともに2005年)の個人タイトルのほか、21連続シーズン2桁先発(1995年~2015年)の日本記録なども持つ。