妊娠8カ月で先天性サイトメガロウイルス感染症の疑いが。出産翌日には医療的ケア児に【体験談】
14歳の山本瑞樹(みずき)くんは、生まれて間もなく先天性サイトメガロウイルス感染症と診断され、脳や体に重度の障害があります。瑞樹くんを含めて、4人の子をもつ山本美里さんに、妊娠中のことや、瑞樹くんの症状などについて聞きました。
美里さんは子育てをしながら写真を学び、2021年秋、医療的ケアを必要とする子と家族の実態に迫る写真集『透明人間 Invisible mom』を自費出版しています。
上の子2人は、妊婦中の経過は順調だったのに・・・
山本美里さん(以下美里さん)が結婚したのは、24歳のとき。夫は5歳年上で、結婚してすぐに第1子となる長男が生まれ、2歳違いで第2子となる長女を出産しました。
第3子の瑞樹くんの妊娠は、美里さんが27歳のとき。長男が4歳、長女が2歳のときでした。
「瑞樹を妊娠していたときは、長男と長女を保育園に預けて、会社員として働いていたので、とても忙しい毎日でした。
上の子たちは、妊娠中の経過は順調で元気に生まれて育っているので、まさか瑞樹に異常が見つかるとは思わなかったですし、上の子たちと変わらない妊娠生活を送っていました。
妊娠7カ月(27週)のとき、妊婦健診に通っていた近所の産院のエコー検査で、医師から“頭の大きさだけ成長が止まっていて、心臓の形も気になるから、一度、大きな病院で診てもらってください”と言われて、紹介状をもらいました。私自身の体調は良好でしたし、今、振り返れば、上の子たちよりは胎動が弱いかな?小さめかな? とは思ったけれど、気になるほどではなかったです。そのため医師から大きな病院に行くように言われたときは、とても驚きましたし、ショックでした」(美里さん)
妊娠8カ月のとき胎児の脳に石灰化が見つかり、先天性サイトメガロウイルス感染症の疑いが
紹介された国立病院で検査を受けたのは妊娠8カ月に入ってすぐのこと。
「胎児MRI検査を行ったところ、脳の右側に石灰化が見られ、先天性サイトメガロウイルス感染症が疑われると言われました。私も検査をしたのですが陰性で、先天性サイトメガロウイルス感染症の確定診断には至らなかったです。羊水検査もしました。
医師からは『先天性サイトメガロウイルス感染症の場合、脳の状態を見ると、感染は妊娠初期のころだと考えられます。赤ちゃんには重い障害が出る可能性があると思ってください』と言われました」(美里さん)
先天性サイトメガロウイルス感染症は、母子感染です。サイトメガロウイルスというのは、ありふれたウイルスで、健康な人が感染しても問題はないのですが、妊婦さんが感染すると胎児に影響が出ることがあり、流産、死産や赤ちゃんの脳、視力、聴力に障害が生じることもあります。
主な感染経路は、尿やだ液、性行為など体液を介した感染です。尿やだ液は、たとえば上の子のおむつ交換をしたあと、手をしっかり洗わなかったり、上の子が食べ残したものを食べたりして感染することもあります。
「その日から、紹介された国立病院に妊婦健診に通うことになり、出産もその病院ですることになりました。しかし生まれるまで何もできることはなく、妊婦健診を続けながら、出産の日を待つことに。
1人目のときも2人目のときも、サイトメガロウイルスというウイルスの存在すら知らず、初めて聞いた病名に驚いて不安でいっぱいになりながらも、夫とは『障害の重さは生まれてみないとわからないから、待つしかないよね』と話し合いました」(美里さん)
生まれたらすぐにNICUで治療するため、計画分娩に。「あれ、誕生日って病院が決めるの!?」と驚きも
瑞樹くんが生まれたのは、2008年5月29日の15時ごろです。
「生まれたらすぐにNICU(新生児集中治療室)に入院するため、計画分娩で出産しました。
計画分娩の説明を受けたときは、あれっ? 誕生日って病院が決めるものなの!?と、思いました。
午前から陣痛促進剤を使って様子を見ていたのですが、助産師に『ちょっとそこに座っていてくれる?』と言われ、体を動かしたらおしりがぬれていました。『破水だね。もう頭が見えているよ』と言われて、あっという間に生まれました。
瑞樹が生まれたらすぐに何人もの医師や看護師が入ってきて、瑞樹はコットに運ばれました。目が悪くて眼鏡をはずしていた私は、ぼんやり白衣の集団が見えるぐらいで、生まれたばかりの瑞樹の顔を見ることもできないし、抱っこすることもできません。声をかけないと、すぐにNICUに運ばれそうな雰囲気だったので、医師に『私、赤ちゃんの顔を見ていません!』と言ったところ、赤ちゃんの顔を初めて見せてくれました。
生まれてばかりの瑞樹は、どこから見ても元気な赤ちゃんに見えました。体重は2270gでしたが、弱々しいとは思いませんでした」(美里さん)
生後3日目で、先天性サイトメガロウイルス感染症と診断がつく
瑞樹くんの名前を決めたのは、美里さんです。
「妊娠中、転院した国立病院に妊婦健診に行く途中、バスの窓からきれいなハナミズキがたくさん咲いていて、とてもきれいだったんです。生まれたら、そしてその次の年も、ずっと親子で一緒に見に来たいな・・・という願いを込めて“瑞樹”(みずき)と名づけました」(美里さん)
瑞樹くんが先天性サイトメガロウイルス感染症と診断されたのは、生後3日目のことでした。
「妊娠中の私の検査では陰性だったサイトメガロウイルスが、生まれた瑞樹のおしっこから検出されました。医師からは『この病気は個人差があるのですが、瑞樹くんはもしかしたらこの先、ママと目が合ったり、笑ったりができないかもしれません。重度の場合だと1歳までに亡くなる子が10%ぐらいいます』と言われました。そして瑞樹は、重度に入ると・・・。また医師からは、サイトメガロウイルスは珍しいウイルスではないし、妊娠中、感染しても、ママは軽い風邪だと思う程度で、自覚症状がほとんどないと言われました。
生まれたばかりの瑞樹は、上の子たちとあまり変わらない様子に見えたのですが、○○ができないなどが少しずつわかっていくというのです。その瞬間『私のおなかの中にちょっと戻ってもらいたい。一度、戻って、いろいろ準備する時間が欲しい』と思いました」(美里さん)
「息止め発作」や難聴、網膜炎など、次々と症状が
瑞樹くんには、サイトメガロウイルスと闘う「ガンシクロビル」という薬が点滴で投与されました。
「サイトメガロウイルスと闘う薬が投与される中、生まれてすぐから『息止め発作』という急に呼吸が止まる発作も出ていました。また先天性サイトメガロウイルス感染症の主な症状には、視力や聴力の障害があります。瑞樹も網膜炎を発症し、悪化すれば網膜剥離になって視力が低下すると言われました。また聴力も、新生児聴覚スクリーニング検査で両耳が聞こえていないことがわかりました。しかしガンシクロビルという薬の効果で、左耳の聴力だけは回復しました。
ミルクは、哺乳びんであげると吐くし、むせるので経管栄養になりました」(美里さん)
2歳半からは胃ろう。7歳から人工呼吸器に
瑞樹くんは、NICUに生後3カ月まで入院し、その後は小児科の一般病棟に移りました。2歳ごろまでは入退院の繰り返しで、やっと退院できたと思っても、息止め発作などで再び入院するような生活が続きました。
「当時は、上の子たちを保育園に送ってから、病院に通う日々でした。夕方近くになれば、急いで保育園に迎えに行って、夕食のしたくをして、上の子たちのお世話をします。とにかく目まぐるしい毎日でした。
瑞樹は、成長しても口から食事がとれないし、感覚過敏もあって口に食べ物が入るとすごく嫌がるので、2歳半から胃ろうといって、おなかに穴をあけてチューブを通して、直接、胃に栄養を送るようにしました。
息止め発作は、最初はてんかんが原因ではないかと考えられたのですが、何度か検査をして、3歳になったころにててんかんが原因ではないということがわかりました。聴力のほうは、今でも右耳は聞こえていません。
成長に伴い息止め発作の頻度が上がり、7歳のときに人工呼吸器をつけることになり、人工呼吸器をつけたら、入退院が減り、自宅で生活できるようになりました。小1の4月からは、特別支援学校に通っています。今は、中2ですが特別支援学校に通いながら週2回デイサービスを利用しています。
また5歳ころに肝硬変が見つかり、最近では腹水がたまるようになってしまい、2023年1月に3回目の手術を終えました。術後の経過がいいので、やっとひと安心というところです」(美里さん)
お話・写真提供/山本美里さん 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部
先天性サイトメガロウイルス感染症は、日本では300人に1人の新生児がサイトメガロウイルスに感染し、年間1000人に1人の赤ちゃんに何らかの症状が出ているとされています。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることをめざしてさまざまな課題を取材し、発信していきます。
山本美里さんの写真集は以下から注文できます。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。