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「始まりは生後11カ月に起きた30分以上のけいれん」原因不明の不安の中、3歳の遺伝子検査で告げられたのは・・・【難病アレキサンダー病・体験談】

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初めてて激しいけいれん発作を起こして入院した11カ月ごろの太一くん。

石川県に暮らす中村優子さん(54歳)は、夫(74歳)と息子の太一(たいち)さん(18歳)との3人家族です。太一くんは日本に50名ほどしかいないといわれる希少難病「アレキサンダー病」を患っています。生後11カ月に最初のけいれんが起きてから、病気の診断がついたのは3歳のときでした。太一くんが生まれてから、診断がつく3歳までの歩みを優子さんにふりかえってもらいました。全3回のインタビューの1回目です。

11カ月のある日の朝、突然起きた長時間の激しいけいれん

出産時に吸引をしたため、頭が伸びているのが心配だったと優子さん。

太一くんは中村家の長男として2004年12月25日、クリスマスに誕生しました。身長50.6cm、体重3320gと元気に生まれ、その後もすくすくと成長しました。周囲からは「健康優良児」「足の力が強いから、早く歩き始めそうだね」と言われていました。

そんな穏やかな日々を過ごしていたある日、太一くんが初めてのけいれんを起こしました。2005年11月25日、11カ月のときです。

「太一が“まんま”と言うので何を作ろうかと冷蔵庫をのぞいていたら、パパが“なんか震えてるぞ太一!!”と叫んだのです。振り返ると、左手と左の顔が横に震えるようにひきつけて、左足もつっぱっていました。
とっさに『熱性けいれんだ』と思いました。姪の熱性けいれんを見て対応をしたことがあり、そのときの様子と同じだったからです」(優子さん)

念のため救急車を呼び「熱性けいれんなら、すぐに止まると思います」という救急隊員の話を信じ、救急車の同乗は取りあえずパパにお願いして、優子さんは必要なものを準備してから車で追いかけました。

左手と左足が一時まひするほどの重いけいれんだったのに・・・

熱性けいれんなら5分くらいでおさまるから、もう落ち着いているはず。そう思って車で病院に駆けつけた優子さん。しかし、救急診療に着くと、処置室の前に立ちつくすパパがいました。

「なんで? まだ中に入れてもらえていない?どうなっているの?運ばれてから40分以上はたっているのに・・・と恐怖と不安で押しつぶされそうになりました」(優子さん)

長く長く感じる時間を夫婦で待ち続け、ようやく名前が呼ばれて処置室の中に入ると、診療台の上に酸素マスクをつけて眠る太一くんがいました。けいれんはまだ少し続いていました。その近くにいた医師は太一くんを見ずにパソコンの画面ばかり見ていたと言います。

「私たちが恐怖の表情で処置室に入ると医師は『熱はないでしょう』と言うのです。朝は38度あったので、看護師さんに測ってもらうと39.5度ありました。
30分以上もけいれんが続いている赤ちゃんを前にして、私としてはそのときの医師として適切な対応をしてくれているようには見えませんでした。
太一のけいれんがようやく完全におさまると、左手と左足が動いていませんでした。一過性のまひが起きていたようです。まひがあることを知ると医師は急きょ、脳の病気の疑いがあるのでCTとMRIで検査をするということになりました。しかし、結局は何もわかりませんでした」(優子さん)

熱の原因は「突発性発疹(とっぱつせいほっしん)」という診断でした。
「熱も測らず、30分以上のけいれんが続いても何の処置もせず、まひがあるとわかってあわてて検査・・・。救急車で行ったところなのでやむをえなかったとはいえ、大切な子どもの体を預ける病院はしっかり調べてから連れていかないといけない、と気づかされた出来事でした」(優子さん)

太一くんにとって、これが初めての救急車と初めての入院でした。

1歳3カ月、脳に異常が認められるも病名は確定されず

1歳4カ月ごろの太一くん。とても元気そうですが発育が遅めと診断されました。

初めてのけいれんから1カ月がたち、太一くんは無事1歳の誕生日を迎え、保育園に通い始めます。集団生活の体験は、いろいろな菌やウイルスの洗礼を受け、入園してしばらくは、ほとんど登園できない日々だったそう。でも、人懐こい太一くんは保育園が大好きでした。

「太一が1歳3カ月のある日、保育園から熱が下がらないと連絡がありました。迎えに行って車で病院へ向かう途中、けいれんが始まり、いつまでたっても止まりません。
最初に連れて行った病院ではけいれんを止める注射が使えないと言われ、小松市民病院に救急搬送されることになりました。
搬送されてすぐにCTを撮ったのですが、医師と看護師が何かおかしい、という表情をしていたことに信頼感のような気持ちがわいてきたことをよく覚えています。MRIの結果も前頭葉が薄く、発育が遅いという診断。とてもショックでした」(優子さん)

その後も、進行性の脳の病気かもしれないといろいろな検査が続きました。髄液をとられる検査はあお向けで1時間も静止していないといけないもので、泣きじゃくる太一くんを優子さんは押さえ続けました。
しかし、いくら検査をしても病名はわからず・・・。このときから、太一くんはけいれんを防ぐ薬を常用することになりました。

3歳のときに「こんな脳は見たことがない」と言われ

太一くんの発達はゆっくりでした。

「2歳6カ月でようやく歩き出したころ、よく保育園のお友だちが、『がんばれ、たいち!がんばれ、たいち!』と、応援してくれていました。保育士さんも太一に対して理解があり、とてもいい環境でした。
その後3歳になって間もなく、生まれて初めて、熱が出ないけいれんが起きたのです。そして、3歳2カ月になる、2008年3月、改めてMRI検査を行うことになりました」(優子さん)

太一くんは小松市民病院に通い続けていましたが、そのころ現在の主治医である大月哲夫先生が病院に異動してきました。

「3月に行ったMRI検査に対する大月先生の診断は、『1歳のときから脳の状態は変わっていない』ということでした。頭の中心から前頭葉部分にかけて白くなっていて、『どうしたらこんな脳になるのか、見たことがない。てんかんやけいれんは合併症だろう』と言われました」(優子さん)

3歳6カ月のとき、「アレキサンダー病」と確定

保育園の発表会のとき、3歳の太一くん。まだ歩けなくて、踊るお友だちの横でリズムをとっていました。

大月先生の紹介で、優子さんは3歳3カ月になった太一くんを高度医療が受けられる病院に連れて行き、脳の異常を明らかにするための遺伝子検査を受けることにしました。

「その病院の医師の初めの診断は『アレキサンダー病』または『白質ジストロフィー』が疑われる、というものでした。遺伝子検査をしないと確実ではないとのことでしたが。
もちろん、どちらも初めて聞く病名です。そのときの太一の発育は1歳半から2歳程度だろうとも言われました。
帰宅してから、告げられた病気のことをネットで調べても、情報がほとんどありません。やっと見つけても、中枢神経が侵される死に至る病・・・など、こわい内容ばかりで詳しく見ることができませんでした」(優子さん)

2カ月と少し経ち、病院から電話があり「お父さんと来てください」と優子さんは言われます。優子さんは不穏な雰囲気を感じずにはいられませんでした。
「医師からは『太一くんはアレキサンダー病という遺伝子の病気です』と告げられました。その後、治療法も治療薬もない希少難病であること、ゆっくり成長し、ゆっくり進行すること、遺伝ではなく、遺伝子が壊れた状態の病気であること、その当時(2007年)10歳まで生きられた子は今のころはいないと説明をされました」(優子さん)

ほかに遺伝子の難しい説明がたくさんあったものの、全然頭に入ってこなかったと言います。

「ショックだったこともあって何を言われているのかほとんどわからなかったのですが、やっと『もし、太一が大人になるまで生きて子どもができたらどうなりますか?』と質問をしました。すると『そうだね、問題はだれが子どもを育てるかだね・・・。本人は確実に死ぬので』と言うんです。確実に死ぬので、という言葉で頭が真っ白になりました」(優子さん)

頭の中に「死ぬ」という言葉だけが残り、何も言葉を返せずにいたそうです。

「気持ちいいくらい、何の心もないような発言に思えました。そのときは計りしれないショックを受けましたが、あとになってみると、期待を持たせてくれなかったおかげで、その後の私たちの生き方をいい方向に向けてくれたと、今は思えます」(優子さん)

【大月先生より】3~4歳のころは、発熱するとけいれん発作を繰り返す不安定な状態でした

大好きだった保育園。水遊びに大はしゃぎの太一くん、3歳のころ。

アレキサンダー病とは1949年にアレキサンダーという名前の医師が症例を報告した疾患です。主に乳児期に発症し、けいれん、頭囲拡大、精神運動発達の遅れの3つが主な症状となる「大脳優位型」、学童期あるいは成人期以降に発症し、 運動機能障害や立ちくらみや排尿困難などが主な症状となる「延髄・脊髄優位型」、両型の特徴をみとめる「中間型」に分類できます。診断はこれらの症状と頭部MRI検査にてアレキサンダー病を疑い、遺伝子検査にて確定します。太一くんは、乳児期に発症する「大脳優位型」でした。

この当時、太一くんは発熱すると長引くけいれん発作を繰り返し、自宅や保育園から30分近くかけて当院へ救急車で搬送されていました。いつけいれんが起こるかわからない不安もさることながら、けいれん発作が長引くことがご家族にとって、とても不安で心配だったと思います。そういった状況のときに自分がかかわることになりました。

お話・写真提供/中村優子さん  監修/大月哲夫先生 取材・文/岩﨑緑、たまひよONLINE編集部

2歳を過ぎて立っち、2歳6カ月に歩き出した太一くん。平均よりは遅い運動発達でしたが、それよりも繰り返されるけいれんのほうが心配であると同時に、太一くんが障害や負い目を感じさせないくらい明るくて人懐っこかったため、発達の遅れはあまり気にならなかったそうです。その後3歳6カ月であまりにも衝撃的な難病・アレキサンダー病の告知でしたが、保育園はその事実も受け入れて「一人一人に寄り添ってくれた保育園でした。本当に感謝しています」と優子さんは言います。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

■中村優子さんのフェイスブック

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年9月の情報であり、現在と異なる場合があります。

監修/大月哲夫先生(おおつきあきお)

PROFILE
小松市民病院 小児科担当部長。小児科専門医。2007年から現職。

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