「安心して死にたい」重心っ子の親が抱える子どもの将来について【重心児育児体験談】
山下祐子さんは、重度心身障がい児の息子・そう君(13歳)と夫の3人家族。そう君は自閉症・全盲・ウエスト症候群・出血後水頭症と診断されています。祐子さんは障がい児を持つママ・パパにもしものことがあったときのための『いざというときリスト』や『サポートブック』を制作、地元・佐賀では障がい児を育てるママや家族のためのサークル『ケアマミ』を運営しています。
全2回のインタビューの2回目の今回は、そう君の日々の暮らしや、そう君の成長、祐子さんが行っている活動について聞きました。
夫と二人三脚、父母・義父母のサポートが励みに
――そう君の現在の1日のスケジュールを教えてください。
5:30 起床
6:00までに朝食・服薬し、そう君は二度寝
(そう君の二度寝中は夫婦で家事をしたりインスタの投稿準備をしています)
9:30 保護者送迎で特別支援学校に登校
14:30 下校(デイサービスが送迎)
17:00-45 帰宅(デイサービスが送迎)
19:00 入浴
19:30 夕食
21:00 入眠
山下祐子さん(以下敬称略):そう君の現在の体重は38kgですが、30kg超えた頃から移動するのが大変になったので、今は床走行リフトと入浴用リフトを使用しています。
床走行リフトは、朝食後、座位保持装置(座位保持のための室内用の移動出来るイス)からロッキングチェアへの移乗、ロッキングチェアから外出用のバギー(子ども用車いす)への移乗、入眠前にユラユラしながら眠るため座位保持装置からハンモックへリフトで移乗に使っています。
リフトを取り入れることによって、私の腰や身体の負担が減りました。以前は勢いをつけて抱き上げないと1人ではできないこともあったのでとても助かっています。リフトを使うことで私の負担はもちろん、そう君も痛みなどを感じることなく移乗できるようになったと思います。
――家族同士の協力はどのようにしていますか?
山下祐子:夫が三交代勤務のときは、夫がそう君と遊ぶ担当、私が家のことをやっていましたが、現在(取材当時)は、夫が求職中なので家事もそう君のことも全部やってくれます。夫は結婚するまで実家住まいだったのでお米の炊き方もわからなかったんですが、今は料理も家事もそう君のお世話も私がいなくてもなんでもできます。
そう君のごはんは私が食べさせるのが日課です。食べるのが大好きなそう君はすぐにぽっちゃりしてしまうので、食べる量を調整しています。
私の実家は車で5分のところにあるので、毎日ごはんやおかずを分けてもらっています。父は実家で作った野菜やお米を届けてくれることも。(そう君が一番大変だったときは深夜のドライブを代わってくれたこともありました)
義理の両親もそう君の食事前に毎日電話をかけてくれます。そう君は感覚過敏なので、お風呂に入った後わーっと泣いてしまうんですが、電話で義両親とお話しをするときょとんと泣き止みます。月に1回お泊まりにも来てくれて、家の中の空気も変わって助かっています。
――自分の心のケア、自分を癒す方法はありますか?
山下祐子:夫や友だちと、カラオケに行ってストレス発散しています。私はもともと1人の時間が好きなタイプなので、1人でハンドメイドをもくもくとやっている時間も好きです。
予想以上の成長に喜びを感じる日々
――そう君の成長について教えてください。
山下祐子:最近、夫と「すごく成長したよね」と話すようになりました。生まれたときは「パパ」「ママ」と言えるようになるなんて思っていなかったのに、パパ・ママだけでなく小学校に上がる頃には左右までわかるようになってきて日々成長を感じています。
そう君は目が見えないぶん視覚的な情報が少ないので、毎日1日のスケジュールをシンボルで伝えるような環境を整えています。学校に行くときはランドセルのすず(シンボル)を鳴らして「今日は学校だね」というように。そう君は自閉症なので次の行動がわからないと不安になってしまいますが、スケジュールを伝えてあげると安心します。年々理解力が上がっていてスケジュールを自分ごととして捉えて生活できるようになってきました。両手で使うジェスチャーの表現の幅も徐々に広がってきています。
――つながれてよかったと思った支援はありますか?
山下祐子:未就学児の1歳半頃から母子通園の療育施設に通っていました。当時はそう君のお世話で寝る時間が少なかったので一緒に通うのが本当に大変でしたが、ここでの同じ境遇の方々との出会いにとっても救われました。
そう君が6歳の頃に、ようやく母子分離型の児童発達支援施設ができてすごく助かりました。今は放課後デイサービスもショートステイもグループホームも複合された大きな施設になっていて、ショートステイも2年前から1カ月に1回の頻度で利用できるようになりました。慣れている先生、場所、食事だからこそ、そう君も安心して泊まれるようになって本当に良かったです。ここでなければお泊まりは一生無理だったかもしれません。
「安心して死にたい」重心っ子の親が抱える高校卒業後の進路問題
――そう君はどんなお子さんですか?
山下祐子:そう君は“人を笑わせるのが好き”な子です。「落とさないでねー」と物を渡したりするとわざと落としてちょっとボケるところがかわいいです(笑)。また大人に甘えるのが上手で、「せんせ〜い」と甘えた声で先生を呼んでメロメロにしています。
そう君の育児を通して“親の思い通りにはならない”ことと“諦めない気持ち”を教えてもらっています。親が想像するようには育たないし、子どもは親が想像する以上に力を秘めているんだなぁと感じます。
盲学校で、先生と一緒に手でたまごボーロをつかんで食べる練習をしたことがありました。私は「食べれないだろう」思って見守っていたんですが、急にパクッと食べることができたのを見て、私は驚いて思わず大泣きしてしまいました。それからは「そう君は待ったらできるんだな」と思うようになって、なるべく心に余裕を持って“待つ”ように心がけるようになりました。
――今現在抱えている心配や課題はありますか。
山下祐子:重度心身障がいの先輩の話を聞いていると、“高校卒業後の生活”の不安を抱えている方が多いです。高校生までは通う場所がありますが、卒業後に重心の子を預かってくれるグループホームは少なく、空きもないので預け先に苦労します。
そう君もグループホームに入れたいなと思っているのですが、自宅での暮らしに慣れているので、入院したときみたいにまた適応障害なってしまうのではないかと不安があります。外泊の感覚をショートステイで少しずつ覚えてもらい、親と離れてもご機嫌に過ごせるように準備をしていきたいと思っています。安心して死にたいです(笑)!
障がい児家族の負担を減らす『いざというときリスト』と『サポートブック』
――祐子さんが作っている『いざというときリスト』と『サポートブック』はどんなものですか?
山下祐子:『いざというときリスト』はママ・パパにもしものことがあった場合に使えるリストです。連絡先一覧、主治医やリハの先生、学校の先生の名前、利用している福祉サービス(デイ・ショート)、デイサービスの申し込み手順、保険の加入状況、重心医療の申請方法、手当のことなどが書き込めるようになっています。
もし私が亡くなってしまったときには、一刻も早く子どもをサービスに繋げて欲しい、私がいなくても安定して過ごしてほしいと考えています。ママ・パパがいなくてもどこに障害者手帳があるのか、どこに連絡したらこのサービスが受けられるかなどをまとめて書いておけばいざというときにわかりやすいと思い、もともと私がエクセルで作って使っていたものを参考にして作りました。
新しく作り直した『サポートブック』も販売することになりました。重心の子や医療的ケアのある子どもはデイサービスや学校などの施設に行くときに1から10まで説明しなきゃいけない機会がたくさんあります。進級するときや手帳を更新するときにも生育歴が必須です。
自治体でサポートブックを作っている場合もあるんですが、なかなか項目が合わないしデザインがイマイチなことも……。このサポートブックは、支援者の方に写真付きでより詳しく説明できるように作られています。重心の子は移動方法や食事方法など細かい伝達事項がたくさんありすぎて、口頭で伝えるのが大変なため写真が載せられるように枠を大きめに作っています。
そう君はこれをリハビリの先生に渡したり、新学期が始まるたびに担任の先生に渡しています。もちろん重心の子以外でも使えるように改良しています。
――サークル『ケアマミ』では、どのような活動をしていますか?
サークル『ケアマミ』での活動
山下祐子:そう君が5歳のときからサークルを作りたいと思い、念願叶ってようやく今年の3月に『ケアマミ』を立ち上げることができました。現在はピアサポート(同じ境遇を持つ人同士が支え合う支援)をメインに活動しています。
近所の3歳の重心っ子のママとインスタで奇跡的に出会えたことで、サークルを立ち上げることになりました。そのママが「今は母子分離の療育が増えていて、同じ境遇のママと出会う機会が少ない」と話してくれました。私のときは母子通園だったのでママが20人ぐらいいて、その出会いにすごく救われていたので、「みんな同じ境遇の人と話したいのでは?」と思い、彼女と一緒にピアサポートを始めました。今は彼女がサークルの副代表をやってくれています。
彼女が企画してくれた『障がい児者ご家族のためのフォト撮影会』も開催しました。障がいを持つ子はご機嫌な時間が少ないので撮影のタイミングが難しく、記念写真を撮るハードルが高いんです。カメラマンさんのお子さんも支援学級に通っているので理解があり、それぞれの子のタイミングに合わせて相談しながら撮影しました。みんなニコニコの笑顔が撮れたのでやってよかったなぁと思います。
サークルは市内の公民館を借りて、月1~2回ほど開催しています。ピアサポートだけでなくママたちの知識をつける場所にもしていきたいです。惜しみなく支援が受けられるように、私自身も障がいに対する知識を身につけながら勉強会をしていけたらと思っています。
SNSで自分が欲しかった情報を発信し、困っている人の役に立ちたい
――情報をSNSで発信している理由はなんですか?また、これからどんなことを発信していきたいですか?
山下祐子:これまでは「SNSにそう君の顔を出すなんて…」と抵抗があったんですが、リフトを購入したときに障がい児の住宅に詳しい工務店さんに、当事者が使っている写真を見せてもらったんです。最初は使い方がわからなかったんですが、実際に使っている写真を見て「一番参考になるな」と思いました。リフトってあまり普及していなくて自力で持ち上げている方が多いのですが、私たちが当たり前のように日常でリフトを使っている姿を発信して、日本中にリフトの便利さを広めていけたらなと思います。
昔は障がい福祉の情報がとても少なかったので、障がい児を育てている方のブログなどを読み漁っていました。今私のインスタでは私自身の経験を色々と載せていますが、「わが家はこんな感じで生活していて、こんな風に成長しているよ」と、わが家を一例として見た人が先を見据えた生活ができればいいなと思っています。病気のことや家のこと、福祉機器のほかにも、例えば脱ぎ履きさせやすい柔らかい靴や、おむつ使用の子どもさんにおすすめの股上が深いズボンなど、昔の自分自身が欲しかった情報を発信しています。
あとは、重い障がいがあっても“ふつうの家族”ということも発信していきたいです。特別に見られがちなんですが、みんなとほとんど変わらないことを伝えていきたいですね。
――重症心身障がい児について、世の中に知ってほしいことはありますか?
山下祐子:障がい児を育てている家族や子どもって固定観念で「かわいそう」って思われてしまいがちなのですが、障がいがあってもなくても大切な家族の一員です。その家族にとって子どもは大切で愛おしい存在であることは変わりないということを多くの人に知ってほしいなぁと思っています。
あと、どの地域の中にも身近にそういう家族がいると思うのですが、温かい目で見守ってもらえると嬉しいです。まだお子さんが小さい家庭だと視線がどうしても痛い時期があると思います。見守ってくれる方って不思議とわかるので、そういう方が増えてくると私たちもすごく安心して過ごすことができます。どんどん心のバリアフリーが広がって欲しい。今私たちにできることをやっていきたいです。
お話・写真提供/山下祐子さん 取材・文/清川優美、たまひよONLINE編集部
障がい福祉に関する情報が少ない中で、リアルな情報が視覚的に手に入るインスタグラムは、障がい児と暮らす上で欠かせない情報ツールになりつつあります。祐子さんは自らの経験を生かし、福祉機器の使い方を発信したり、サポートブック作りやサークル活動を行い、重心児とその家族が情報に飢えず、孤独にならない枠組み作りを行っています。“心のバリアフリー”を広げるために、どんな病気や障がいに対しても私たちひとり一人が、関心を持ち理解を深めていくことが求められています。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることをめざしてさまざまな課題を取材し、発信していきます。