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動き回る二男、「小学校に入ったらきっと落ち着いてくる」と思っていたのに、小3でADHDと診断。希望が打ち砕かれた・・・【発達障害体験談】

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アクリル絵の具と油性ペンで描いた、あっくんの大学の卒業制作。制作中に新型コロナに感染し、作品は未完。

土崎幸恵さん(52歳)の二男のあっくんは今23歳です。幼児期から多動傾向があり、小学3年生のときに発達障害の一つであるADHD(注意欠如・多動症)と診断されました。
土崎さんは、あっくんの子育て経験を生かして、2018年に東京都東村山市にNPO法人すくすくはあとを設立しました。
あっくんが小学校に入学してからのことや診断がつくまでのことを土崎さんに聞きました。3回シリーズの2回目です。

4歳のときは、歩道橋のスロープを自転車に乗ったまま下り、転落して大けが

自閉症および発達障害啓発のために、世界中が青い光のリレーでつながる「ライト・イット・アップ・ブルー東村山」(2016年)のポスターには、小学生のときに描いたあっくんの絵が採用された。

あっくんは幼児期から多動傾向があり、けがをすることが多かったです。

「4歳のときは、ちょっと目を離したら歩道橋のスロープを、自転車に乗ったまま下ってしまい、バランスを崩して転落したこともあります。血だらけになる大けがでした。
あっくんは、小学校に入ってからADHDと診断されました。ADHDは強い衝動性が特性の一つですが、衝動性という言葉では片づかないぐらい、いろいろなことがありました。
スロープの事故のことを今のあっくんに聞くと『かっこつけたくてやっちゃったんだよね』と言います」(土崎さん)

2歳下の妹への八つ当たりも目に余るものがありました。

「あっくんはちょっとしたことでかんしゃくを起こすのですが、妹をたたいたりしてイライラを発散します。妹が何もしていないのに、急に妹をたたいたり、蹴ったりすることもありました。妹がかわいそうで、『あっくんから逃げて』と何度言ったかわかりません」(土崎さん)

好奇心おう盛で自由過ぎるあっくん。ママは、毎週のように小学校に呼び出された

あっくんには2歳上の兄がいて、小学校は兄と同じ、家から近い公立小学校に通いました。

「小学校は通常学級に入学しました。入学後は毎週のように担任の先生から電話があり、私は小学校に呼び出されていました。
あっくんは好奇心おう盛で、興味があるものを見つけるとまっしぐら。登校することも忘れて、道端に座って虫をずっと見ていたりするので、担任の先生からは『あっくんが学校に来ていないのですが。おうちは出ましたか?』というような電話は年中でした。

忘れ物も多くて、私が仕事に行く前に小学校に届けると、あっくんが廊下でウロウロしています。そして私の姿を見つけると『あ! お母さーん』と言って、走ってくるのです。席に座って授業を受けるのが、あっくんにとっては苦痛だったのだと思います。

今のあっくんにそのことを聞くと『じっと座っていると何も考えられないんだ。ウロウロ歩き回ったりしたほうが、いろいろ考えられるから動いていた』と言うんです」(土崎さん)

子育てに限界を感じて受診を決意。小学3年生のとき国立精神・神経医療研究センターへ

あっくんがADHDと診断されたのは小学3年生のときです。

「小学2年生のときに担任の先生から『教育相談に行ってください』と言われて、電話番号が書かれたメモを渡されました。
発達障害という言葉が広く知られていなかった時代です。幼児期から『お母さんのしつけのせいだ』と言われ続けていて、私は正直『また私のせいと言われるんだ』と思い、教育相談には行きませんでした。しかし再び担任の先生から、教育相談に行くように言われました。
同じころに私の母からも『一度、病院で診てもらったら?』と言われていました。

私もいろいろと限界で、やっと専門家に頼ってみようと思いました。学生時代の友人が精神科医をしていることを思い出し、まずは友人に相談しました。すると友人は『おそらくだけどADHDではないかな?』と言うのです。

今から15年ぐらい前のことです。私にとっては初めて聞く病名でした。友人にすすめられたADHDの本を読むと、どれもこれもあっくんに当てはまります。
そこで私は初めて、あっくんを連れて国立精神・神経医療研究センターを受診し、発達検査を受けました。国立精神・神経医療研究センターは、うちからは電車で片道2時間近くかかりました。

検査は何回かに分けて行いました。あっくんは検査が嫌で泣きさけんだこともあります。脳波の検査をするときは、眠くなる薬を使うのですが、検査が終わって起き上がるとき、あっくんはもうろうとする中でいろいろと不安や不平を言ってきました。病院という特殊な雰囲気の中で、とてもこわかったのだと思います。
いろいろな検査に付き添いながら、『ここまでしないとダメなのかな?』と思いました。あっくんには、こわい思いをさせてごめんねとも謝りました」(土崎さん)

ADHDと診断されたときは「しつけのせいではなかった」と安どする一方で、不安や戸惑いも

検査の結果、あっくんはADHDと診断されました。診断されたときは、ショックと安どが渦巻いた、複雑な心境だったと土崎さんは言います。

「ADHDとわかったことで、これまで『しつけのせいだ』と周囲から叱責されて、私自身、自分を責めていたこともあったので『私のせいではない』とわかってほっとしました。
しかし『もう少し成長したらきっと落ち着いてくる』と希望を抱いていたので、ADHDと診断されて『治る見込みはないんだ』とかなり落ち込みました。

精神障害者保健福祉手帳を受け取ったときは、『あっくんは、これで精神障害があると認定されたんだ』と思うと、不安が渦巻きました。
今、私は支援者として活動していて、子どもの発達の特性に悩んでいるママ・パパたちから相談を受けています。
私もそうでしたが、医療機関で診てもらうというのは、ママ・パパたちにとってかなり勇気がいります。しかし診断がついたあとの道しるべを示すことで、ママ・パパたちが抱いていた漠然とした不安が払しょくされ、前向きに受診を検討してくれるようになることもあります。当時苦しんだ、自分自身の経験が今の仕事に生きています」(土崎さん)

受容に至るまでは、初期段階が最もつらい時期

わが子の発達障害をママ・パパが受容するにはかなりの時間がかかります。受容に1歩近づいたと思っても、何かをきっかけに後退するなど、行きつ戻りつしながら、ママ・パパは少しずつ受容していきます。

「受容の最初の段階は、ショック→否認→悲しみと怒りです。
私もこれらのステップを踏んで受容していきました。わが子の発達障害を受け止めざるを得なくなると、『なんでうちの子が?』『なんで私だけこんな目に合うの?』という『怒り』がわいてきて、周囲に八つ当たりなどをするようになります。『怒り』まで来ると、気持ち的には少しラクになってくるのですが、『怒り』に至るまでは、自分を責め続けるのでママ・パパはすごくつらいです。

あっくんが幼少期は、今のように発達障害という言葉が広く知られていなかったため、私も周囲から『しつけのせい』と言われて、自分を責め続けていたことがあります。『相談したって、どうせ私が悪いと言われる』と思って、だれかに相談しようとも思わなかったです。でも今は、相談できる場所が多くありますし、発達障害の理解も進んでいます。私も近隣地域のママ・パパを対象に、子どもの特性や就学などの相談に対応しています。ママ・パパには、1人で悩みを抱え込まないでほしいと思います」(土崎さん)

お話・写真提供/土崎幸恵さん 取材・文/麻生珠恵 たまひよONLINE編集部

ADHDと診断される子どもの割合は、学童期だと3~7%。男の子のほうが、女の子より3~5倍多いともいわれています。あっくんのように日常生活に困難をきたすことが多いのですが、現在は薬によって症状を緩和する治療も取り入れられています。
シリーズ3回目は「あっくんの得意な絵画と進学、自立」について紹介します。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2023年11月の情報であり、現在と異なる場合があります。

『発達かあさん―ソーシャルワークで起業する-』

ADHDと診断されたあっくんを育てていく中で、直面した数々の壁。その経験を生かして、NPO法人すくすくはあとを設立し、支援者として活動するようになるまでを描いたノンフィクション。
土崎幸恵著/1650円(世音社)

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