暗闇の中で胎児の気持ちを体感する!「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に行ってみた
真っ暗闇の中に作られたアトラクションをアテンドと呼ばれる視覚障がい者の方の案内でグループで探検するプログラム「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」をご存じですか? 視覚を使わないことで嗅覚や触覚といった自分のもっている感覚を再発見したり、人とのコミュニケーションの心地よさを感じたりすることができるのだそう。そんなプログラムを、日々の生活に追われ、感覚はおろか目に見える物まで見落としがちな1歳男児を育てるワーキングマザー釈が体験してきました。
外苑前会場では、8月28日(日)まで夏休みバージョンになり、通常週末のみのプログラムが平日も開催。
ダイアログ・イン・ザ・ダークとは...
暗闇のソーシャルエンターテインメント。1988年にドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケの発案によって生まれ、日本では1999年11月に初めて開催。現在は東京(外苑前)と大阪「対話のある家」の2か所に常設され、体験することができる。
※妊娠中の参加はできません。子どもは小学生以上で保護者の同伴が必要です。くわしくはダイアログ・イン・ザ・ダークのホームページをご覧ください。
http://www.dialoginthedark.com/
真っ暗闇は思ったより心地いい
地下鉄外苑前の駅から徒歩8分ほど。コンクリートうちっぱなしの近代的な建物の地下に「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の入口があります。
受付でプログラムについての簡単な説明をうけたあと、荷物をロッカーに預けてソファーが並ぶ広々としたエントランスで開始を待ちます。
時間になると、当日集まった初対面の人同士が定員8名で1つのチームになり、アテンドと呼ばれる視覚障がい者の方のナビゲートで出発します。この日のチームは年齢も性別も違う6人。ちょっぴり人見知りな私は緊張しつつ入口へ向かいました。
ニックネームで初対面のメンバーが打ち解ける
入口をはいると6畳ほどの薄暗い部屋があり、ここで白杖(はくじょう)という視覚障がい者の方が使う白い杖を1本ずつ選ばせてもらい、使い方を教えてもらいます。次にうっすら人影が見えるくらいのもう一段暗い部屋に入って暗闇に目をならしつつ、アテンドの方に促されて全員が自分のニックネームをメンバーに伝えます。暗闇の中ではぶつかったりしないように声をかけあうため、ニックネームで呼び合うのだそうです。
この日のアテンドは「くまちゃん」。その名のとおり大柄でほがらかそうな男性。ちなみに私は「しゃく」だから「しゃくとりむし」。ニックネームがわかると、一気にチームがうちとけて緊張がほぐれました。
においや感触で普段意識しない感覚を楽しむ
いよいよ出発です。部屋の一角にあるカーテンをくぐり、純度100%の真っ暗闇へ。前の人はもう見えず、瞬きをしてもどこを向いても真っ暗。会場がどれくらいの広さなのか、自分がどっちを向いているのかもまったくわからない! 不安MAXで立ちすくんでいると、「こっちだよ~」というアテンドのくまちゃんの声。
へっぴり腰で白杖をすべらせ声のほうへ進んでみると、チームの人に手があたったり、声がしたりしてみんなが近くにいるのがわかり、ほっとしました。
そのうち、笹のような細くて少し乾いた葉っぱに手がふれて、草や土の香りが鼻の中にふわっと入ってきました。葉っぱのこすれるサワサワという音、でこぼこした足の裏の感覚。ふいに子どものころ、こんなかんじのところで遊んだな、という懐かしい思いがわきあがってきます。
足の裏の感覚や手触りやにおいや音。たぶん普段も感じているけれど、意識をすることがなかった感覚です。面白くなって地面をさわったり、まわりの物の形や材質をたしかめたりしていると、最初の心細さをすっかり忘れて、暗闇がとても心地よくわくわくする空間に感じてきました。
声を出さない人は透明人間と同じ
暗闇の空間には様々なアトラクションが用意されています。バス停や丸太の橋、おじいちゃんの家や芝生の土手などをアテンドのくまちゃんの案内でチームが力をあわせて探検していきます。
人の手はあたたかくて安心できるもの
丸太の橋を渡るときは、前を行く人が後ろの人の手をとって丸太の位置を教えてくれます。時間がたつにつれ、「前にいるのはだれですか?」「ここに壁があるよ~」と自然とみんなが声をかけあうようになって、真っ暗闇の中でもなんとか楽しみながら進んでいくことができました。誰かに手をとってもらったことなど久々のことでしたが、こんなにあたたかくて安心できるものなんだと新鮮な驚きがありました。
暗闇の中では声を発さないと相手に何かを伝えることはできません。アテンドのくまちゃんいわく、声を発さない人は「透明人間」になってしまうのだとか。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は“暗闇での対話”という意味なのですが、まさに対話(コミュニケーション)の心地よさや大切さを再確認できる体験でした。
見えないからこそ“見える”世界がある
ダイアログ・インザ・ダークの中で印象的なのは、真っ暗で何も見えないはずなのに“見える”ということ。人工芝の土手で寝転び、ドーン、ドーンという花火の音を聞いたとき、今まで見た花火の映像が頭の中に色鮮やかにうかんできました。ついでに蒸し暑い夏の夜の空気や花火を見ながら飲んだビールの冷たさ、一緒にいった友達の顔まで。
見えないことは創造力がふくらむということ
視覚障がい者であるくまちゃんは、花火を音や空気の振動で楽しむのだそう。実はくまちゃんは子どものころは見えていて、花火を観た記憶があるそうなのですが、きっとくまちゃんにもその時に観たきれいな花火が見えているんだろうと想像できました。
ダイアログ・イン・ザ・ダークの発案者であるドイツのハイネッケ博士は、一緒に働くことになった視覚障がい者の同僚と交流するうちに、彼がとても創造的な世界に暮らしていることに気づいてこのプログラムを考えたといいます。今回の体験をとおして、私も視覚障がい者に対する認識が変わりました。見えても、見えなくても違う楽しみ方で同じものを楽しむことができる。一緒に花火に行ったら、見えているよりももっと素敵な光景が視覚障がい者の方には“見えて”いるかもしれないと思いました。
暗闇の中ではあっという間に時間が過ぎる
プログラムが終了すると、細い通路をとおってほんのり明るい部屋に入ります。そこでしばらく座って目ならします。くまちゃんが「どれくらい時間がたったと思う?」と聞くので「30分~40分くらいかな」と答えると、実際は90分がたっていました。一緒に体験したメンバーも同じように時間がたっていないように感じていました。視覚を遮断すると、感じる時間の流れもかわるのかもしれません。
産まれでてくる赤ちゃんの気持ちを思い浮かべる
目がだんだん慣れてきたところでその部屋を出て、最初のエントランスへ戻りました。エントランスの光の中に戻った時、ふと、産道を通って生まれてきた赤ちゃんてこんな感じかな?と、思いたちました。赤ちゃんも心地よいおなかの中から外にでてきて、きっとまぶしくてびっくりして心細い気持ちになるんでしょうね。赤ちゃんはいっぱい声をかけて、触れ合って育てたほうがいいといわれますが、出口をでたとき、その理由がすんなり納得できました。声をかけること、触れることは生まれた時から始まるもっとも原始的で大事なコミュニケーションであることをダイアログ・イン・ザ・ダークの体験を通して感じることができました。
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に行ってみたくなりましたか? 「そんな時間はない」と思った人。実はそんな人にこそ体験してほしいプログラムです。時間に追われていると、人とのコミュニケーションもおろそかになり、五感を使って季節を楽しむことも忘れがち。日常から離れ、コミュニケーションの楽しさを思い出したり、自分の本来の体の感覚を取り戻していくと、きっと気持ちがラクになりますよ。
※この記事は「たまひよONLINE」で過去に公開されたものです。