年子姉妹が2人とも難病児。孤独で、だれにも気づかれていない存在、まるで“透明人間”のような毎日だった【難病児・医療的ケア児の育児体験談】
山口県在住の瑠美さんは、年子の長女のいっちゃん(9歳)、二女のふうちゃん(8歳)と夫の4人家族です。長女のいっちゃんは1歳7カ月のとき、難病の“頭蓋骨縫合早期融合症クルーゾン症候群”が判明しました。二女のふうちゃんは生後5カ月のときに、難病の“痙攣重積型(二相性)急性脳症”を発症。重い障害と後遺症が残り、“胃ろう”という医療的ケアが必要な医療的ケア児です。
難病児、医療的ケア児の姉妹を育てている瑠美さんは、自身の体験を生かし、医療的ケア児の育児に関する情報を発信しているNPO法人『アンリーシュ』の理事として活動しています。そんな瑠美さんに、いっちゃんとふうちゃんを妊娠や出産したときのこと、病気がわかったときのこと、いっちゃんの手術やふうちゃんの医療的ケアで大変だったことを聞きました。全2回のインタビューの1回目です。
※頭蓋骨縫合早期癒合症クルーゾン症候群…頭蓋・顔面骨縫合早期癒合をきたす疾患群であり、頭蓋・顔面の異常、頸部・気管の異常および四肢の異常を認め、疾患ごとに症状が異なる。代表的な疾患を挙げるとクルーゾン症候群、アペール症候群、ファイファー症候群、アントレー・ビクスラー症候群などがある。(厚生労働省HPより)
※痙攣重積型(二相性)急性脳症…小児に多く、突発性発疹やインフルエンザなどの感染症を契機に急激に発症し、典型例では二相性の痙攣とそれに続く意識障害を呈する。意識障害からの回復後に、大脳皮質の機能低下とてんかんがしばしば 出現する。罹病率は1年に 100〜200 人である。(厚生労働省HPより)
無事に生まれた年子姉妹が、立て続けに難病児であることが判明
瑠美さんは2015年3月にいっちゃんを出産、翌年の2016年2月にふうちゃんを出産しました。妊娠中も出産後も、2人に病気があることはわからなかったそうです。
「子どもたち2人は11カ月差の年子です。長女のいっちゃんも、二女のふうちゃんも、おなかにいるときは病気があることがまったくわかっていませんでした。順調な妊娠生活を送り、2人を出産したあとも何事もなく育児が始まりました。いわゆるふつうの妊娠・出産で、私もとくに心配事はありませんでした。
今思えば、いっちゃんが生まれたとき、眼球が飛び出ていたなぁと思います。まさか病気だとは思っていなかったので『おめめが大きくてかわいいなあ』としか思っていませんでした」(瑠美さん)
病気がわかる前のいっちゃんとふうちゃん
瑠美さんが初めて異変を感じたのは、長女のいっちゃんのほうでした。
「いっちゃんが生後4カ月のころ、寝ているときにいびきと無呼吸がありました。なにかの病気ではないかと気になって病院をはしごしましたが、どこで診てもらっても『鼻づまりでしょう』『眠れているのなら大丈夫でしょう』と言われ、私もそれに納得していました。
ほどなくして次女のふうちゃんが生まれ、バタバタと過ごしながらも、2人とも順調に育っていました。しかし、ふうちゃんが生後5カ月のころ、急に原因不明の痙攣(けいれん)を何回も起こし、“痙攣重積型(二相性)急性脳症”という難病だということがわかりました。ふうちゃんは手術などの治療で1年ほど入院し、私も付き添い入院でふうちゃんのそばにいました。ふうちゃんには重い障害と後遺症が残りました。
そして、もう少しでふうちゃんが退院するというタイミングで外泊し、いっちゃんと一緒に寝たときに、やっぱりいっちゃんのいびきと無呼吸が気になってしかたがありませんでした。私はふうちゃんが入院している病院に、いっちゃんのことも調べてもらえないかと強くお願いをしました。いっちゃんの顔面のレントゲンを撮ってもらった結果、“頭蓋骨縫合早期癒合症クルーゾン症候群”という難病だということがわかりました」(瑠美さん)
子どもたちが2人とも難病児だとわかったときの気持ちを、瑠美さんはこう振り返ります。
「本当に“絶望”という言葉がぴったりでした。最初は妹のふうちゃん、次は姉のいっちゃん…と追い打ちをかけるように判明したうえに2人とも難病…。私は頭の中で『なんてことをしてしまったんだ』『なんで元気に産んであげることができなかったのか』と考え続け、原因は自分にあるのではないかと自分を責め続ける毎日でした。とくに、いっちゃんに対しては、病気だとわかるまで1年ほどかかってしまったので、それまでずっと1人で戦っていたんだと思うと『本当にごめんね…』という申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
このころはパパともよくぶつかりました。どうしても私のほうが病気に対する知識が増えてしまって、夫婦間で病気に対する認識にギャップがありました。私は子どもの側(そば)にいて『子どもを守る』という考え方だったけれど、パパは働いて『家族を守る』という考え方だったんだと思います」(瑠美さん)
大きな治療を乗り越えて退院し、ふうちゃんの医療的ケアがスタート
瑠美さんが見守る中、姉妹2人は小さなからだで大変な治療を乗り越えました。
「ふうちゃんは、脳症に加えて肺炎も併発して、何日も生死の境をさまよっていましたが、なんとか一命を取り留めました。ふうちゃんが医療的ケア児になるということがわかったのは、入院してから半年たったころです。ミルクが飲めなくなってしまい、24時間ずっと授乳している状態だったため、鼻からチューブを通して経管栄養を注入することになりました。そのとき、親子ともにスッと楽になるのを感じて、今後この子は医療的ケアが必要な子なんだなと思いました。2歳のときに胃ろうの手術をしておなかから食事をとるようになりました。
いっちゃんは、頭蓋骨の中で脳が圧迫されている状態でした。2歳のときに、頭蓋骨を広げるためにパズル状に切った頭蓋骨をボルトで広げる手術をしました。朝から晩までかかる14時間の大手術だったので、手術が終わるのを待っている間は心配で生きた心地がしなかったです」(瑠美さん)
そして退院後、瑠美さんは、動き回るいっちゃんを見ながら、ふうちゃんの医療的ケアをしなければなりませんでした。
「いっちゃんとふうちゃん2人の入院と手術を終えて、病院から帰ってきたあとはとても大変でした。いっちゃんは術後の頭蓋骨がくっついてない状態。そのうえ、ふうちゃんの状態も悪く、医療的ケアが安定していない状態でした。動き回るいっちゃんを見守りながら、ふうちゃんの医療的ケアをしなければならなかったので、ずっとパニック状態。家事がとうてい手につかず、退院後半年間は義両親の家で暮らしていました。
私はふうちゃんの医療的ケアで眠れない毎日でした。2時間おきの栄養の注入も大変でしたが、入眠時と出眠時のてんかん発作がひどかったので、てんかんの症状を落ち着かせるために夜中じゅう抱っこをしていました。やっとふうちゃんがふとんで寝てくれても、私がふとんに入って寝てしまうと何かあったときに起きられないので、座って眠るのが当たり前でした。常に寝不足の状態だったので気持ちが元気になれず、メンタル面もかなり落ち込んでいました。ふうちゃんは嘔吐(おうと)がひどくて、誤嚥(ごえん)の心配もあったので、夜中も日中もずっとふうちゃんの足もとに座っている生活。『私は一生ここに座って過ごすのかな…』と思うほどでした」(瑠美さん)
医療的ケア児の預け先がなく、大きな孤独感に包まれ「透明人間のようだった」
精神的にも体力的にも限界を迎えていた瑠美さんは、なんとか2人を預けられる場所を探そうと必死でした。
「2歳9カ月ごろ、いっちゃんは幼稚園に入園できることになりましたが、難病があるいっちゃんを受け入れてくれる幼稚園を探すのは大変でした。妹のふうちゃんをあえて一緒に見学へ連れて行って『こういう状況で困っています』と説明し、ようやく見つけることができました。送迎は毎日ふうちゃんを一緒に連れて行かなければならないので大変でしたが、いっちゃんは幼稚園が大好きで、幼稚園に行くようになってからは言葉も増えて毎日楽しそうで、私もそれが励みになっていました。
いっぽうで、ふうちゃんは5歳まではどこにも預けられませんでした。私は自由に外に出たくても出られないので買い物も宅配で、幼稚園の送迎以外はずっとふうちゃんと自宅に引きこもっている状態でした。夜も眠れなくて日中も1人。自分の病院にも行けないし、美容院なんて1年に1回行ければいいほう。だれに話してもわかってもらえないと思っていたので、どこにもはけ口がありませんでした。このときの私は透明人間のようでした。だれにも気づかれていない存在で、社会の一員になれていないという孤独感。今私がいなくなっても、きっと家族以外はだれも気づいてくれないんだろうなと思っていました。今と違ってSNSで情報を発信されている方も少なかったので、同じような境遇の人に出会うこともありませんでした。
5歳になってようやく、日中一時支援(週1日)と訪問看護に来てもらえるようになって、だいぶ楽になりました。最近では医療的ケア児の支援の法律が制定されて、未就学児でも預けられる場所が徐々に増えてきていると感じます」(瑠美さん)
「パパはパパなりの子どもへの愛情がある」夫の思いがわかった瞬間
2人の病気がわかった当時、夫とぶつかることが多かったと話していた瑠美さん。しかし、子どもたちに対する夫の思いがわかってからは、瑠美さんの考えにも変化があったそうです。
「ふうちゃんが大変なとき、私はごはんが食べられなくなっていました。けれども、パパはごはんをバクバク食べていて『なんでそんなにふつうに食べれるの?おかしいんじゃない?』と思っていました。ある日、いつも見送っている病院の駐車場で、パパがポロポロと涙をこぼしながら『味なんてしない。でも守りたいものがあるからおれは食べるよ』とお弁当を頬張っているのを見てハッとしました。パパはふだん自分の思いを口にしないからわからなかったけれど、本当はそんな思いを抱えていたんだ。私は『ふうちゃんと一緒に頑張る』という思いが強すぎてごはんが食べられなかったけれど、それは間違いで、ふうちゃんを守るためには食べなきゃいけないんだと気づかされました。
パパは家族のために必死で働いてくれて、いつも冷静でいてくれました。パパはパパなりの子どもへの愛情があるし、私には私なりの愛情があります。すれ違っていたときもありましたが、2人とも“子どもを守りたい”という同じ目標に向かっているので、全然問題ないのだなと思うようになりました。
最近は、パパがふうちゃんの医療的ケアに対して積極的になりました。今年の5月はいっちゃんの手術に私が付き添わなければならなかったので、その間のふうちゃんのお世話はパパが担当していました。私が書いたメモを見ながら1カ月間練習して、一生懸命頑張っていました。
ふだんはパパがいっちゃん担当、私がふうちゃん担当。いっちゃんとパパは本当に仲よしで、いっちゃんが『映画が見たい!』というときには、休日にパパと2人で映画を見に行って、帰りにごはんを食べて帰ってくることもあります」(瑠美さん)
同じ病気の家族とのつながりが支えに。難病児を育て自分の価値観が変化
「透明人間のようだった」という時期を乗り越え、今は、SNSを通じて同じ病気の子どもを持つ家族とつながったり、地域の医ケア児家族とのつながりも増えてきたと話します。
「子どもたちが小さいころはSNSで病気のことを発信している人が少なかったので、必死でブログを検索していました。当時、いっちゃんのクルーゾン症候群は、まったくと言っていいほど情報がありませんでした。ふうちゃんの病気は患者数が比較的多いのですが、いっちゃんのクルーゾン症候群は非常にまれな病気なんです。
最近ではインスタグラムで発信されている方も増えてきて、同じ病気の方やその家族とのつながりも増えてきました。いっちゃんのクルーゾン症候群においても、家族会ができたり、30人ぐらいのLINEグループができて、情報交換ができるようになりました。ふうちゃんが支援学校に通うようになってからは、地域の医ケア児家族ともつながることができました。
孤独なときは『自分だけがこんなつらいんじゃないか』と思っていましたが、同じように頑張っている子どもたちや家族がたくさんいると知ることで気持ちが軽くなりました。同じ難病児・医ケア児のご家族とのつながりは私にとって大きな支えになっています」(瑠美さん)
また、子どもたちを育てているうちに、瑠美さんの考え方も変化していきました。
「昔は“自分が思い描いている子どもの未来=子どもたちにとっての幸せ”だと考えていて、そこに導いてあげることが親の役目だと思っていました。なので、それが一気に崩れたときは大きな絶望感がありましたし、『ふうちゃんにはブランコも滑り台もさせてあげられないかもしれない』と思うだけで、ふびんでたまらなかったです。
けれども、純粋無垢(むく)な子どもたちの姿を見ていたら、世間体が気にならなくなりました。“親の役目”を果たしてあげられないことがつらかったり、子どもに対するふびんさを感じたりすることもありましたが、それは結局私の理想でしかなくて、私の価値観の押し付けに過ぎないのではないかと思うようになりました。今、目の前にいる子どもが楽しそうに笑っているという事実があります。『◯◯できないから幸せじゃない』ということはなく、人の幸せは人それぞれ。私が思う幸せと、この子たちが思う幸せは違います。だから、そのとき、その瞬間に、この子たちが思う幸せを見つけて、それをかなえるために家族で支えてあげていったらいいのではないか。子どもたちの明るい未来のために、自分にはいったい何ができるのだろうと考えるようになりました」(瑠美さん)
お話・写真提供/瑠美さん 取材・文/清川優美、たまひよONLINE編集部
少ない情報を頼りに手探りで子どもたちの病気と向き合い、孤独でいっぱいだった医療的ケアの日々を乗り越え、価値観が変化していったと話す瑠美さん。「子どもたちの明るい未来のために、自分にはいったい何ができるのだろう」という問いかけが、その後のアンリーシュの活動につながっていきます。
2本目のインタビューでは、ふうちゃんといっちゃんの現在や、きょうだい児であるいっちゃんの今後のこと、アンリーシュの活動についてお話を聞きました。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
瑠美さん(るみ)
瑠美さんのInstagram
(@rumi180222)
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●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年8月の情報で、現在と異なる場合があります。