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シングルマザーで僧侶になった2児の母。「だれ1人取り残さない」と決め、みんなが集える居場所づくりに奮闘【体験談】

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お寺の一角で月に1回開催される「テンプル食堂えんまん」。

だれでも気軽に訪れることができる地域子ども食堂「テンプル食堂えんまん」、「テンプル食堂よしざき」を運営している。八幡真衣さん(32歳)。八幡さんは、石川県小松市にある圓満山(えんまんざん)本光寺の僧侶です。地域全体で子育てをしたいと話す八幡さんが子ども食堂を開設したのは、自身のシングルマザーとしての経験がありました。全2回のインタビューの後編です。

▼<関連記事>前編を読む

コロナ禍で切実に困っている人がいる。今すぐ支援を

「テンプル食堂えんまん」、「テンプル食堂よしざき」はだれでも集まれる子ども食堂です。

――八幡さんは子ども食堂の運営に取り組まれているとのこと。活動を始めたきっかけを教えてください。

八幡さん(以下敬称略) 2020年、新型コロナウイルスの流行で緊急事態宣言が出されたのがきっかけです。当時は飲食店などがお休みとなり、飲食店で働いていたシングルマザーの友人が経済的にとても苦しくなってしまったんです。次の日に食べるものもない状況になり役所に相談しようとしたところ「コロナの関係で、相談の予約がいっぱいです。3日後に来てください」と言われたというんです。コロナ禍で初めてのことだらけで、役所もどう対応していいのかわからなかったのだと思います。

その友人から、私のところにヘルプの連絡がありました。私の家はお寺だから、少しはお米もありました。友人にはお米や食料を渡し、なんとかしのいでもらいました。とはいえ、役所の窓口がストップしてしまって、困っている人たちの行き場がなくなっている状況がわかりました。私も2人の子どもを持つシングルマザーだったので、ひとごとではありません。

「ほかにも困っている人はいるはず。なんとかしなくちゃ!」と思ったんです。そこで、お寺で地域の人が集まれる子ども食堂を開設しようと考えました。

怒涛の2週間を過ごして、子ども食堂をスタート

支援者から食べ物や日用品などをたくさん寄付をしてもらい、フードパントリーも行っています。

――開設に向けてどのように行動したのでしょうか?

八幡 すでに子ども食堂を始めていた友人に、何をしたらいいか相談し、知り合いに声をかけて手伝ってくれる人を募りました。企業や八百屋、飲食店にノーアポイントで訪問し、支援をお願いしました。食材もたくさんの人から寄付してもらいました。
怒涛の日々でしたが、開設を思い立ってから2週間後くらいには、初回の「テンプル食堂えんまん」を開催することができたんです。2020年5月のことです。当日は80人くらいの人が来てくれました。

――たった2週間で開設されたとは、驚くスピードです。

八幡 行動しながら何をしたらいいか考えた感じです。当時は「3密」と言われていて、人に会ってはいけないと強く言われていた時期でした。そのなかで私は「みんなでごはんを食べよう」と呼びかけたわけです。「何を考えているんだ。感染リスクを考慮しなさい」と怒る人もいました。
でも、精神的にも経済的にも行き詰まる人が、ゆっくり食事をしてほっとできる場所を作りたかったんです。

2020年6月には石川県と福井県の県境にある吉崎別院で「テンプル食堂よしざき」を開設しました。「テンプル食堂えんまん」、「テンプル食堂よしざき」も「子ども食堂」とは銘打っていますが、子どもに限らず「だれでも来てください」と言っています。18歳以上は300円、子どもには無料でお弁当を提供しています。

その人がどんな事情を抱えているのか、さまざまな方向から見つめたい

家庭や店舗で余っていた未使用品を集め、提供をする「フードドライブ」の活動も。

――なぜ 「だれでもどうぞ」というスタイルなのでしょうか?

八幡 子どもがいる世帯だけが子育てをしているわけではないと思うからです。子どもは地域全体で見守り、育てていくのが理想ではないかと考えています。私が子どものころは、学校帰りに近所の人たちに「おかえり」と声をかけてもらい、どこかのお家に遊びに行くのが当たり前でした。親には言えないことも、近所のおじいちゃんやおばあちゃんには相談できるときもあったんです。

それに私は「支援が必要な人かどうか」で線引きしたくなくて。子ども食堂に参加する人のなかには、シングル家庭の人、経済的に困っている人など支援が必要な方も多くいます。もちろん、支援は必要ですが、それを担っている団体や社会制度はすでに存在しています。だから、私は「だれでも分けへだてなく、みんなで一緒の空間で過ごしたい」という思いがあります。
こうしたスタンスに対し、厳しい意見をもらうこともありました。

――たとえばどんな意見がありましたか?

八幡 「高価なブランド品をたくさん持っている人も子ども食堂を利用している。余裕のある人に、安く食事を提供するのはおかしい」といった意見がありました。
でも、外見からは裕福に見えてもその人の内情はわかりません。あるとき、とても華やかに見える食堂の利用者さんから「ローンを組んででも高級なものを身に着け、お金があるように見せないと友だちがいなくなってしまう。でも家計は火の車で、子どもにまともなものを食べさせてあげられない・・・」と打ち明けられたことがありました。

もちろん彼女のことを「お金の使い方を間違えている」と批判するのは簡単です。でも、その人からしたら高価なものを身に着けないのは、自分の世界のすべてが崩壊するとさえ感じられるわけで・・・。本人もわかっているけれど、相談できる場所がなくて1人で悩みを抱えているんです。実際にその人がどんな事情を抱えているか、別の面を見ることを忘れてはいけないと思っています。

打ち上げ花火のように1回ではなく、定期的に開催することが大切

地域の子どもたちの居場所にもなっています。

――たしかにいろんな事情を抱えている人がいると思います。

八幡 以前、大雨の日に2人の子どもを連れ、食料を取りに来てくれたママがいました。雨のなか、両手いっぱいに重い荷物を抱えたそのママは、上の子がゲームばかりして手伝ってくれないことを大声でどなり、上の子に手を上げてしまったんです。
近くにいたスタッフはみんな、子どもにかけ寄って「大丈夫?お母さん何しているの?」と語気が強くなっていました。
でも私は思わずママにかけ寄り「ママ、頑張ったね、つらかったよね」と抱きしめたんです。

――その様子は、ママが子どもにつらく当たっているように思います。なぜママを抱きしめたのでしょうか?

八幡 そのママは以前から食堂に来てくれていたのですが、下のお子さんに発達障害があり、かんしゃくを起こしがちでした。その日、ママは食堂で予約していた食べ物を受け取るため、子どもたちにも朝から言い聞かせ、必死に調整していたんだと思います。それが大雨という最悪の天気の上、子ども2人を連れて大荷物を抱えなくてはいけないし、子どもは言うことを聞いてくれない。限界まで頑張っていたのに、「なんで私ばっかり、こんなにしんどいの~」って、張り詰めていた糸がぷつんと切れてしまったんだと思います。

ずっとそのママの奮闘を見てきた私は、ママを責めることはできませんでした。「ママが子どもに手を上げた」という一部の行動だけを見るのではなく、私は「そこに至るまでの過程に何があったか」を考えられる存在でありたいと思っています。

――食堂はどれくらいの頻度で開催されていますか?

八幡 毎月1回は開催しています。単発のイベントではなく、定期的に開催しているのにはこだわりがあります。長いおつき合いになることで、それぞれの家庭の事情もわかるし、信頼関係も築けると思っているんです。

数年前、食堂に来ている子が、夜中に1人でスーパーでお弁当を買っているのを見かけたというスタッフがいました。
その子のママから何か話を聞いたわけではないけれど、子どもが夜中に1人で外出するのは危険です。だから食堂では、その子が来てくれたときに少し多めにレトルト食品を渡すことにしました。事情のある家庭に、私たちが深く介入できるわけではないのですが、そのなかでも手伝える努力をしていきたいです。

子ども食堂をスタートさせた最初のころ、「コロナ禍の最中にみんなで集まるなんて」と怒っていた人も、最近は食堂に来てくれます。300円のお弁当1つに1000円置いていってくれるんです。子ども食堂の活動を理解してくれる人が増え、とてもありがたいです。

能登半島地震のボランティアにも積極的に参加

能登半島震災のとき、八幡さんはボランティアとして駆けつけました。

――2024年、能登半島地震のときもすぐにボランティアに駆けつけたと聞きました。

八幡 2024年1月1日、あの日は「テンプル食堂よしざき」で4世帯くらいのシングル家庭と一緒に、みんなでお正月をしていました。
そろそろ帰ろうかというときに、地震があったんです。水道が止まり、道路も土砂崩れが起きて帰れなくなり、私たちは一晩、避難所で過ごしました。
被災地が同じ石川県内だったから、孤立してしまった人の情報なども入ってきていたんです。お正月だったから通常のお店はお休みで、被災地の人は食糧や日用品なども手に入らない状態でした。そこで翌朝には私たちの食堂にあった食料や水、紙おむつ、ミルクを車に積めるだけ積んで届けることにしました。

ただ、輪島までの道路が滑落し、その日のうちには到着できなくて。1月3日にようやく物資を届けることができました。
その後も食堂のスタッフと交代で物資を届けていました。輪島までの道路が通れなくなっていたから、最後は海沿いの道を2~3キロ歩いて運んでいたんです。現地で炊き出しをして、帰るときは現地の出荷できなかった野菜を持ち帰り、こちらでお弁当にしてまた現地に届けたりしていました。

現在も支援は続けています。能登半島では2025年3月になり、避難所で暮らしていた人たち全員が、ようやく仮設住宅に入れました。震災から1年2カ月以上も自宅にも戻れず、仮設住宅にも移れず、不便で苦しい思いをしていた人たちがいたんです。
もしかしたら、能登半島震災のことは「終わったこと」と考えている人が少なくないかもしれません。でもまだ続いていることだし、私は忘れていないよ、ずっとそばにいるよと言い続けたいです。

――すばらしい行動力ですね。

八幡 幼いころから、思い立ったらいてもたってもいられないタイプでした。とはいえ、以前は人の目を気にしてなかなか行動に移せませんでした。お坊さんになり「阿弥陀如来さまはだれ1人取り残すことがなく救済してくださる」という教えを学び、「そんなに慈愛に満ちた存在がいてくださるなんて」と、すごく衝撃だったんです。私もほんの少しでもその教えを実践できればと考えています。
それに、活動する原動力のひとつとして「自分たちのまわりだけよければいい」という考え方が嫌というのもあります。

現代はいろんな選択肢があって、さまざまな地域で暮らすことができます。もし「子どものときに過ごした環境はみんな優しかったけど、一歩外に出たら冷たい人ばかり」となるのは悲しいなと。どこにいてもだれもが支え合って、あたたかい場所になってほしいです。現在、テンプル食堂は、京都、沖縄など、全国に6カ所展開しています。

実は私の望みは、いつか子ども食堂というものがなくなればいいということです。1人ぼっちで食事を食べる子どもがいなくなり、みんなが満足いく食事がとれる環境になってほしいいんです。
残念ながら、今の日本では子ども食堂が増え続けている状況です。だから私は、子ども食堂を、食事を提供する場であるとともに、みんなの居場所になってほしいと願っています。子どもたちが「真衣ちゃん、学校でこんなことがあってね」など、気軽に話せる場所になるといいなと感じています。

お話・写真提供/八幡真衣さん 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部

「人から何を言われたとしても、自分が大事だと思うことを貫きたい。孤独を感じている人に、あなたは1人ではないよと伝えたいです」と話す八幡さんの熱い思いが伝わってきました。八幡さんの情熱が、多くの人の心を動かすに違いありません。

八幡真衣さん(やはたまい)

PROFILE 
浄土真宗本願寺派僧侶。圓満山(えんまんざん)本光寺副住職。一般社団法人「えんまん」代表理事。2020年5月、本光寺で「テンプル食堂えんまん」、6月に本願寺吉崎別院で「テンプル食堂よしざき」を開設。2児の母。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年6月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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