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俳優・鈴木一真、「赤ちゃんが苦手だった僕が、息子が最優先の人生に」。11歳・長男の発達障害を公表したのは、だれかの救いになればという思い

更新

息子さんと鈴木さんのツーショット。
息子さんと鈴木さんのツーショット。

国内外のドラマや映画で活躍する、俳優・鈴木一真さん。10年前、ちょうど1歳の誕生日を迎えた息子さんを連れて、家族3人でアメリカ・ロサンゼルスへ渡り、現在も日本とアメリカを行き来しながら、俳優として数々の作品に向き合っています。その10年を節目に、自身のインスタグラムで、息子さんが発達障害であることを公表した鈴木さん。今回は、息子さんが生まれたころのことや、今回公表するにいたったきっかけ、さらに、息子さんの将来についての思いを聞きました。
全2回インタビューの後編です。

▼<関連記事>前編を読む

最後まで悩んだ、息子についてのインスタ投稿。公表後は、みなさんからの感謝の言葉が届いた!

最近始めたというブラジリアン柔術のクラス。ヘビー級、金メダリストの先生と。
最近始めたというブラジリアン柔術のクラス。ヘビー級、金メダリストの先生と。

――息子さんの11歳の誕生日を機に、息子さんの発達障害について公表されましたが、そのきっかけや思いについて教えてください。

鈴木さん(以下敬称略) この10年間のけじめというのもありますし、10年でいろいろなことがあった中で、公表したほうがいいんじゃないかと思うことがいくつかあったんです。

自閉症スペクトラム(以下、ASD)と診断された当時は、息子の将来に悪い影響を与えてしまうかもしれないと考えて、公表はしませんでした。それで、障害のことを伝えたのは、家族とマネージャーだけ。毎日セラピーを受けなければいけなかったので、マネージャーには、しばらくは仕事を受けることができないと伝えたんです。

ただ、どうしても断れない仕事もいくつかあったので、それはスケジュールを詰めてもらって調整してもらうなど、事務所にはかなり迷惑をかけてしまいました。またその間も、仕事で単身帰国した際に、息子が家でかんしゃくを起こし泣き叫び、近所の人が虐待だと疑って見に来たり、苦情が来たりと、いろいろなことがありました。

あるときマネージャーに、「おまえ、なめてんのか!みんな一生懸命なのに、おまえは何をやってるんだ!」と言われたんです。その言葉には、すごく衝撃を受けました。大変な状況だとは伝えてはいたんですけど。おそらく当時、僕がインスタグラムに投稿していた写真が、息子との楽しそうな写真だけだったので、そう思われたんじゃないかと。ただ、当時の息子は無表情だったし、しゃべることができない中で、奇跡的に笑ってくれた瞬間が撮れてうれしくて、それで写真をアップしていたんです。今思うと、自分自身が苦労していたことを鼓舞した様な、慰めていた様に感じます。

公表していないことで、誤解を生んでしまうこともあるんだなと痛感しましたし、事実を伝えた身近な人に理解されないこともショックでした。この出来事をきっかけに、ASDについてもっと広く、そして総合的に理解が深まってほしいと思うようになりました。それが、渡米して3年か4年たったころのことです。

自分が俳優としてハリウッドで何か実績が残せたという段階ではなかったので、その時点で公表してしまうと、障害児を育てている父親という部分がフィーチャーされてしまうんじゃないかという心配もあったんです。それで、いつか自分が、アメリカで納得できる仕事がいくつかできたときに、このことを公表するのがいいかなと思っていました。

ただ、発達障害について言えないもどかしさはずっとありました。そして、とても孤独でしたね。日本に一時帰国して友だちに会っても、そのことはだれにも言えなかったので。

――そんな中で、公表することになったのは、何が大きかったのでしょうか。

鈴木 息子の成長もありますし、自分自身がハリウッド作品に何本か出演することができたことも大きいですね。また、渡米して10年の節目というのもあります。それでも、最後まで迷ったんですよね。インスタグラムに投稿する20枚の写真をじっくり選んで、文章も何日もかけて考えました。

今、日本でかかわっている作品の役柄が、けっこうな悪い役なんです(笑)。役のイメージと現実の父親としての姿がだいぶ違うので、その仕事が先に決まっていたら、もしかしたら公表しなかったかもしれないです。まあそれも、運命かもしれないですね。

――公表して、周囲からの反応はどうですか?

鈴木 コメント欄やダイレクトメッセージで、本当にたくさんのメッセージをいただきました。そのほとんどが、感謝の言葉でした。

そのメッセージを読んでいて思ったのが、多くの方が発達障害で苦しんでいるんだなということ。「大変だ!」と言ってはいけないような環境なんだろうなと感じました。

以前、障害について調べていて、けっこうショックだったことがありました。ASDの子どもを育てているご家庭のお母さんのインタビュー映像を見たのですが、家中がめちゃくちゃに破壊されていて、子どもがかんしゃくを起こしているんです。それって、子どもが悪い子なわけではなく、伝えたいことを伝えられなくてパニックになってしまっている状態だったんだと思います。

そんな中で、マイクを向けられたお母さんが最初に発した言葉は「うちの子、元気なんですよ」でした。その瞬間、僕は胸がざわついて、「そんなわけないだろ」と思わず声をあげたくなりました。家の中が壊され、子どももお母さん自身も明らかに苦しんでいる様子が映っているのに、なぜそこで“元気”と表現をしてしまうんだろうと。

でも、すぐに気づいたんです。このお母さんはいつも「助けて」と言えない状況に置かれていて、だれにも弱音を吐けず、理解してくれる人も少ないんじゃないかと思いました。せっかく社会に向けて発信できる貴重な機会ですら、本音を封じ込めてポジティブに見せてしまったのではないかと。そのことが悔しくて、怒りにも似た気持ちがわきました。

だから、僕が息子の発達障害について発信することが、少しでもだれかの支えになれたらいいなと思うんです。

子育てをする中で、大変なことだけじゃなくて、楽しい部分ももちろんあるんですよ。成長がゆっくりめなので、たとえば目が合っただけでも、握手ができただけでもうれしかったです。

赤ちゃんが苦手だった自分が、息子の子育てを経験して、180度考え方が変わった!

息子さん、自身のアート作品と一緒に。
息子さん、自身のアート作品と一緒に。

――2010年に結婚して、その4年後に息子さんが誕生されます。出産のときの様子や、鈴木さんの思いを教えてください。

鈴木 最初、おなかの中の赤ちゃんは女の子だと言われていたので、女の子のグッズを買いそろえていたんです。そして自分の中では、女の子ということが、ちょっとプレッシャーでした(笑)。とにかく大事にしなきゃいけないし、いろいろと心配しなきゃいけないことも多いんだろうなと。

ただあるときに、男の子だということがわかって、実はすごくうれしかったんです。男の子だと、取っ組み合いのけんかをしたっていいし、多少は雑に扱ってもへっちゃらそうだし(笑)。もっと気楽に遊べるかなと思って、会えるのがすごく待ち遠しかったですね。

出産では、妻が「麻酔はしないで、痛みも味わう」と言ったときに、ちょっとびっくりしました。息子が生まれるときも、目ん玉が飛び出るんじゃないかというぐらいに絶叫していたんですが、痛みを耐えている姿を見て、本当に尊敬しましたね。そして幸運なことに、立ち会えたんです。

生まれてすぐ、体重計に乗せられた息子は3009グラムだったんです。そうしたら、体重計の上でうんちをプリプリとしてしまって、なんと3000グラムぴったりに!それを見て、なんだか縁起がいいなと思いました(笑)

――息子さんが誕生して、その後の子育てはどうでしたか?

鈴木 子育ては、夫婦で一緒にやっていました。とにかく、子育てを楽しんでいました。

妻が妊娠中に、夫婦でアパレル系のパーティーに行ったんですが、そこで、以前『NON-NO』でお世話になっていた方に会ったんです。当時、雑誌『LEE』の編集長になっていて、その方に「子育ての連載をやらないか」と声をかけてもらったんです。「そんなバカな」と最初は思いましたけど、でも、受けてみようかなと。実は僕、赤ちゃんが苦手だったんですよね。

それで、連載の第一弾のタイトルは、「赤ちゃんが苦手だ」でした(笑)。「みんな、赤ちゃんはかわいいと言ってるけど、本当ですか?」というところから、連載が始まりました。

でも、その次の回では、僕の考えが180度変わっていて!赤ちゃんがかわいくてしょうがないという自分に(笑)。もう、1秒でも長く一緒にいたいなという気持ちになっていました。当時は反響も大きかったですね。雑誌の中で、公開謝罪しましたね。

新婚旅行で「ここに住みたい」と言い出した妻。2年後には、家族3人で移住!

ドラムの発表会での息子さん。
ドラムの発表会での息子さん。

――息子さんが1歳の息子さんのときに渡米を決断されていますが、家族ではどのような相談をしたのですか?

鈴木 僕は俳優をする前にモデルをやっていて、最終的にはニューヨークでも活動していました。「日本で俳優を始めたんだ」と、現地のマネジメントに伝えたら、「じゃあ、こっちでもやれよ」と言われたんです。当時は英語力もなかったのでお断りしたんですけど、それが頭の片隅にずっとありました。

俳優を始める以前、現在はハリウッドのキャスティングを請け負っている奈良橋陽子さんのレッスンを受けたんです。その方が、海外作品のオーディションを僕にもいくつかチャンスを与えてくれたのですが、スケジュールがなかなか合わなくて、受けられないことが何度も続いてしまって・・・。そのもどかしさもあり、どうしたらいいのかなと考えたときに、文化庁の「新進芸術家海外研修制度」にチャレンジしてみるのはどうかなと思いました。これは、美術や音楽、映画、演劇などの各分野における新進芸術家たちが、海外での研修を行う際の渡航費や滞在費を、文化庁が支援してくれる制度です。年齢制限もギリギリだったし、結婚もしていたので悩みましたが、「これに合格したら行く」ということにしようと決意しました。それで、無事に合格して、アメリカに行けることになったんです。

実は妻が以前、新婚旅行でアメリカに行ったときに、ぽろっと「私、ここに住みたいな〜」と言い出したことがあったんです。「何をバカなこと言ってるんだろう」と当時は思いましたけど、その3年後には家族3人で住んでいましたね・・・(笑)。妻は僕以上に、アメリカに住みたいという気持ちがありました。

さらに、アメリカに行く直前に子どもができたので、行くのはやめようと一度は思ったんです。ところが妻は、「じゃあ、子どもはアメリカで育てようよ」と言い出したんですよ。ただ、プログラムの期間は1年間で、育てるも何も、そんなに長くはいられないよとは話しましたけど、何はともあれ、そのような状態でアメリカに渡りました。

――アメリカではどんなことに挑戦していたんですか?

鈴木 現地では、アメリカで活躍される監督やプロデューサーさん、真田広之さんをはじめとする俳優など、いろいろな方にお会いしてお話を伺い、そのレポートを定期的に文化庁に提出するんです。

その間に、自分でも劇団に入ったり、アクティングクラスを受けたりしていました。その様子もレポートにまとめて提出しました。1年がたって、研修は終わってしまったんですけど、僕が出演できたのは、コマーシャルやショートムービー、舞台などばかりで、メジャー作品に出ることはかないませんでした。それでもう1年だけ自腹で行かせてほしいと、事務所に頭を下げました。「1年でも仕事がなくなる可能性あるんだから、2年なんて知らないよ。でも、おまえの人生だから、行ってこい!」と、今の社長が言ってくれたんです。

しかし現実は、オーディションに落ちすぎて、さすがに凹む日々でした。毎日毎日オーディションだらけで、「日本に帰りたい」と思ったぐらいで。でもそんなときに、息子に発達障害の疑いが出てきました。発達障害の子の子育てに関して、日本よりもアメリカのほうが総合的に環境がいいと感じ、残ることに決めました。

成長はゆっくりだから、目が合っただけでも、握手ができただけでもうれしい!

ライフガードのクラスを受ける、息子さん。
ライフガードのクラスを受ける、息子さん。

――この10年間、夫婦でどのように気持ちを共有して、どんな話し合いをしてきたのでしょうか。

鈴木 僕の場合は、夜なべしてまで調べすぎてしまって、ASDにはどういう症状があるのか、親としてどういうことをすればいいのか、同じような発達障害の子をもつ親御さんのブログを読みあさっていました。そしてときには、絶望することも。当時は本当に、追い詰められていましたね。

僕が想像していたのは、一生しゃべることができないまま、おむつをつけて、ごはんを食べさせてもらって、ずっとだれかに面倒を見てもらうような生活をしている息子です。さらに、自分も仕事が受けられなくなって、家族を守れるのかなという不安もありました。

もともと、1人でインドや南米など、どこでも平気で行っちゃうような性格でしたけど、家族をもってからは、やっぱり責任感のようなものが出てきたんだと思います。

ただ妻のほうは、セラピストさんやドクターが、「そんなに心配しなくていいよ」とか「話せるようになるよ!」などと言ってくれていたので、それを素直に受け止めていました。僕は、その言葉が信じられなかったんですけどね。だから、夫婦間ですごく温度差がありました。

――夫婦間の考え方の違いは、年月とともに変化はありましたか?

鈴木 妻は息子のアートの才能を見出し、導いてくれました。妻は、中学から大学まで美術系の学校に通っていて、学芸員の資格を持っているなど、アートの理解が深いんです。彼の個性を大事にしながら、いろいろな道具や技術を教えたり、美術館やギャラリーに連れて行って、鑑賞させることも。そのおかげで、息子はアートに対してやる気をもって取り組んでいます。

一方で、息子と一緒にスポーツを楽しむのは僕が担当です。バスケットやスケートボード、サーフィン、それから水泳をやっています。水泳は毎年夏になると、毎日のように通っているんですよ。これには理由があって、ASDの人が亡くなる死因の第1位が水難事故なんだそうです。たぶん、水に飲み込まれたときにパニックを起こして、亡くなってしまう方が多いのだと思います。それもあって、とくに水泳を一番頑張っていますね。

どのスポーツも最初は全然できないんですけど、息子は負けず嫌いなところがあって。「できるようになりたい!強くなりたい!」と言って頑張っています。

4年前ぐらいから水泳のクラスに行き出した息子は、今年はライフガードのクラスを受けることになりました。今まで、みんなに助けてもらった息子が、ついに、だれかを助けることができる立場になるのかなと、期待しています。夫婦それぞれの得意分野で息子をサポートすることができていると思います。

ASDの子は苦手なことも多く、コンフォートゾーン(人が安心で快適だと感じる心理的な領域のこと)が極端にせまかったりするので、それをどれだけ大きくしてあげられるかをテーマに、いろいろなことに挑戦させてきました。息子は何でもひたむきで一生懸命なので、そのおかげで得意なことや好きなこと、そしてあちこちにたくさんの仲間が増えました。そんな息子を誇りに思いますし、尊敬の念を抱くこともあります。

アートやさまざまなスポーツに触れて、息子の将来が思い描けるようになった!

旅先での鈴木さんと息子さん。
旅先での鈴木さんと息子さん。

――息子さんはアートが好きということで、「アートの仕事に就いてくれたらうれしい・・・」とSNSに書かれていました。

鈴木 息子の場合、会社勤めは難しそうかなと思っているんです。さらに、ロサンゼルス自体が、アートを盛り上げてくれる街なんですよね。そういう環境の中で、アートであれば、息子も独り立ちができるんじゃないかなと思いました。

先日、家族で日本に一時帰国したときに、息子と岡本太郎記念館に行きました。記念館は青山にあるんですけど、僕も大好きで、息子も大好きな場所です。

ここは太郎さんが実際に暮らしていた場所でもあって、アトリエでもあります。このような空間を訪れることで、「アートとともに、こういった暮らしをすることもできるんだよ」というのが息子に伝えられたらいいなと思っています。

――父親になって、自身の生き方や考え方にどのような変化があると感じていますか?

鈴木 渡米したことで、自分の生き方や考え方に大きな変化があったと思います。実は渡米を考えたときに、真っ先に相談したのが矢沢永吉さんでした。そのときに、「もし行けば、死ぬ間際に、“行っておけばよかった・・・“と後悔することはなくなるかもしれないよな」という言葉をいただいて、背中を押していただきました。

自分が父親になる前は、自分が最前線で戦わなきゃいけないと思っていて、「休みもいらないからとにかくキャリアを積むんだ」とか、少しでも俳優として身になることをやりたいと思っていました。でも今は、できる限り家族と一緒に過ごしたいと思いますし、子どもの成長を助けたいというのが最優先になりましたね。

もちろん、俳優としても努力をしていますけど、自分自身よりもまずは家族という感覚になりました。以前のように、すべての時間を犠牲にして向上するんだという感覚ではなくなっているかなと。キャリアと家族と、バランスよく生きていくことが幸せだなと思っています。

ただ最近では、息子の療育がすべてというところからは、抜けつつあるのかなとも感じています。息子の成長とともに、自分だけのために費やす時間も増えてきたように思います。

前だったら、毎日息子のことが心配で仕方がなかったんですが、今は、「まあ、こいつなら大丈夫そうかな」とも思えるようになってきました。

お話・写真提供/鈴木一真さん 取材・文/内田あり(都恋堂)、たまひよONLINE編集部

いつからか言葉を発しなくなり、笑うことも減っていったという息子さん。診断結果が出た後の鈴木さんは、夜な夜な検索しては、絶望してしまったこともあったそう。それでも、家族で熱心にセラピーに取り組んだことで、10年間で心も体も大きく成長。さまざまなアートやスポーツに触れさせる体験を夫婦で与え、今では、いろいろなことに挑戦する男の子に成長しています。
息子さんの個性あふれるアート作品も、ぜひインスタグラムで見てみてくださいね。

鈴木一真さん(すずきかずま)

鈴木一真さんのプロフィール画像

PROFILE
1968年生まれ。1987年よりモデルとして東京、パリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨークなどで世界的に活躍。1995年の役者デビュー以来、個性派俳優として数多の作品に出演。2010年、一般女性と結婚し、2014年には第1子となる男の子が誕生。2015年、文化庁新進芸術家海外研修制度を機にロサンゼルスを拠点に。2025年、30年所属した株式会社ホリプロを離れ、フリーとしての活動を開始する。現在、コリン・ファレル主演のApple TV+「シュガー」などに出演中。また、ハリウッドで撮り終えた長編映画の公開も控えている。

鈴木一真さんのInstagram

息子さんのアート作品を紹介するInstagram

●記事の内容は2025年8月の情報で、現在と異なる場合があります。

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