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「待っている子どもがいるんだから、早く電話を」という長女の言葉に背中を押され・・・。2人の実子を育てながら里親に【体験談】

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2人の実子とともに里子を迎えて育てている齋藤さん夫婦。

「親と子どもの育ちをハッピーに!」のスローガンのもと、活動する一般社団法人グローハッピーの代表理事を務める齋藤直巨(なおみ)さん。直巨さんは、2人の実子の女の子と、今年大学生になった19歳の里子・小賀坂小春さんと暮らしています。直巨さん家族は、これまで7人の子どもを預かった経験があります。齋藤直巨さんと小賀坂小春さんに聞く全3回インタビューの1回目です。今回は直巨さんに、里子を迎えた理由について聞きました。

中学生のころから子育てに興味が

直巨さんは、中学生のころから子育てに興味があり、いつかは子育てがしたいし、もし子どもを授かれなかったら、里親になろうという思いがあったそうです。

「私の母は、2度の離婚経験があり、私と姉は父親が違います。母は2度目の結婚で私と弟を授かりましたが、その後離婚してシングルマザーの道を選びました。『全員、私の大切な子ども』と、母は必死に働きながら、私たちきょうだいを育てました。

今、思い出すと、母としてはレスパイトの意味合いも強かったのでしょうが、休日や夏休みなどの長期の休みのときは、母のきょうだい家族の家へお泊まりに行くことが楽しみで、いとこたちともきょうだいのように育ちました。
泊まりに行くと、母の姉は料理や裁縫を教えてくれました。母の兄は、のびのびと多くの遊びを経験させてくれました。
母のきょうだいたちは、まるで私の親のようで、親が3組いて、みんなに育てられた感じです。

私は中学生のころから子育てに興味がありました。私の育った昭和の時代は、子どもの権利などはあまり尊重されていなかったので、そうしたことに対して疑問を感じていました。子どもの育つ環境はどんなものがいいのか?親としてどんなかかわりが必要なのか?深く考えるようになりました。
そして将来、私は絶対に“子どもを育てる経験をしたい”と思っていました。

ニュースの特集番組などで、不妊によって子どもが産めない人がいることを知り、“私にも、その可能性はあるかもしれない。もし子どもを授かれなかったら、里親になって子どもを育てたい”とも考えていました」(直巨さん)

里親になりたいと夫に伝えたら、ごく自然に「いいことだよね」と言われた

夫の竜さんは、よき理解者。

直巨さんは、竜さんに「もし子どもに恵まれなかったら里親として子育てをしたかったんだ」と、自身の考えを伝えていました。

「夫は、最初から、里親になることに理解を示してくれていました。私は流産の経験もしていて、その経験も大きかったです。どんなに頑張っても、生まれてこられない命がある。生きている子どもたちを大切にしたいと思ったんです」(直巨さん)

直巨さんは、仲のいい義理の母との同居を機に、里親について具体的に考え始めました。

「夫の母は、当時は既にリタイアしていましたが、もともとはプロダクトデザイナーをしていました。個を大切にする人です。同居が決まったときも“私はわがままな性格だから、それぞれのペースでいきましょう”と言われました。
そういう母なので、里子のことを相談したときも“いいんじゃない”と言ってくれましたが内心ではとても心配していたそうです」(直巨さん)

直巨さんが里親になるために具体的に動き出そうとしたとき、背中を押してくれたのは、直巨さんの2人の子どもたちでした。

「以前から、2人の娘にはニュースやドキュメンタリー番組などを一緒に見ながらさまざまな事情で、親と暮らせない子どもたちがいるということを伝えていました。
そうしたテレビ番組を見るたびに、長女は“うちに来たらいいのに!うちは楽しいんだから”と言うんです。

幼いときから、こうした会話がごく自然にあったからだと思うのですが、里親になるときには子どもたちが私の背中を押してくれました」(直巨さん)

直巨さんが児童相談所に電話をすることを少し躊躇(ちゅうちょ)していたときのことだそう。

「里親になるには、児童相談所に連絡をする必要があります。電話をしようと思ったのですが、ちょっと不安があったんです。ニュース報道などで見聞きすることから、私は児童相談所にあまりいい印象をもっていなかったので・・・。

電話をかけることを迷っている私の様子を見ていた小学校1年生の長女が“何してるの?”と聞いてきました。
私の気持ちを正直に伝えると“そんなことで悩んでいる間も待っている子どもがいるんだから、早く電話しなよ!”と言うんです。
長女の言葉に背中を押されて、電話をすると、その日のうちに面談することになり、とんとん拍子で里親になりました」(直巨さん)

1人目の里子は、虐待を受けて保護された2歳の女の子

直巨さんの二女が作ったお菓子。

直巨さんが初めて迎えた里子は、2歳の女の子でした。
里子を迎え入れるまでには、主に次の4つのステップが必要です。

1:児童相談所や里親支援機関に相談する
2:数日間の研修と家庭環境の調査を受ける
3:都道府県などの審査を経て、里親として登録する
4:児童相談所から子どもの紹介を受け、受託を希望する場合は子どもと面会交流を行う

「長女の言葉に勇気をもらって児童相談所に電話をして、まずは手続きなどの説明を受けました。そして研修を受けたりしたのですが、里親としてすぐに子どもを預かれたわけではありません。

児童相談所から初めての委託を受けたのは約1年後です。その間は、毎月開催される里親サロンに参加して、先輩の里親さんからいろいろ教えてもらったりしていました。

初めて迎え入れたのは、親に虐待を受けて一時保護された2歳の女の子でした。当初は1カ月の予定でしたが、1カ月延長になり2カ月間一緒に暮らしました。
このとき長女は小学校3年生で、二女は3歳でした」(直巨さん)

研修などを受けて迎えた初めての里子でしたが、想像もしない行動にとまどったこともあったそう。

「虐待を受けた影響だと思うのですが、たとえば喜んでくれるだろうと考えてその子の目の前でキャラクターの型抜きを使ってチキンライスを作ったことがありました。“見て!ミッキーのチキンライスだよ”と声をかけたら、泣き出したんです。“えっ!?何で泣くの?どうしたんだろう?”と想像もしなかった反応に戸惑いました。
その後もごはんのたびに泣いていて、どうにか普通にごはんを食べられるようになるまで2週間ぐらいかかりました。

また、うんちをしたとき“おむつ替えよう”と声をかけても、“うんちしてないよ”とごまかして替えたがらなかったです。どのようにして対応したらいいのかすごく悩みました」(直巨さん)

かかわり方に悩みながらも、少しずつその子と心を通わせ始めた矢先、その子と別れることに――。

「その女の子は、親が近くに住む施設に行くことになり、わが家での一時保護は終了することになりました。
施設に行く日は平日で、長女は学校に行く日でした。なので前日から準備をして、登校前の朝の時間にまたいつか会おうねパーティをしました。その女の子の少し先の誕生日もお祝いする意味もありました。朝から食べた生クリームたっぷりのケーキの味は、今でも忘れられません。

その子が帰ってしまったあと、家族みんなで寂しくて、短期の預かりは自分たちにはつらいから、できれば長期で育てられる子をお預かりしようと決めました」(直巨さん)

お話・写真提供/齋藤直巨さん 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部

▼続きを読む<関連記事>後編

直巨さんは、「短期的な受託は、子育てのバトンをつなぐという役割があり、長期的な受託は、親権は持たないけれど、親として子どもを育てる役割がある」と言います。

インタビューの2回目は、小賀坂小春ちゃんとの出会いや直巨さんが代表理事を務めて、親子が幸せに育つ社会環境を創る一般社団法人グローハッピーの活動について紹介します。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

齋藤直巨さん(さいとうなおみ)

PROFILE
東京都生まれ。一般社団法人グローハッピー代表理事。2人の実子を育てながら、長期里親のほかに、短期里親、一時保護の子どもたちをこれまで7人受け入れている。

一般社団法人グローハッピーのHP

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2025年9月の情報であり、現在と異なる場合があります。

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