高齢出産で双子! 分からないことだらけの授乳と悩んだ末に悟ったこと
現在、在宅で仕事をしているライターの“nojico”です。子どもたちの入園を機に仕事を始め、彼らが幼稚園に行っている間に、集中して家事や仕事をしています。そんな私は45才で双子を出産しました。高齢で双子を妊娠したせいか、妊娠中は何度も入院を経験。そのため、市で開催している母親教室などへはほとんど参加できませんでした。無事に出産することにばかりに気を取られ、どのようにおっぱいをあげればよいか、本当に分からない! とんだ船出でした。
甘かった! 産後は自然に母乳が出ると思っていた私
「これからおっぱいを絞りますよ」
帝王切開の手術後、寝ていた私に助産師さんがそう声をかけました。私はベッドのリクライニング機能を使い、起き上がるのがやっと。
「今日からおっぱいを3時間から3時間半おきに赤ちゃんにあげること。今から、初乳を絞ること」と助産師さんは簡単に語りますが、その初乳を出すのにどれだけの時間がかかり、痛かったことか! あの手この手で助産師さんが絞り出した母乳はわずか15cc…。
助産師さんは双子たちが入院しているNICUにあっという間に消えてしまいましたが、残された私はおなかの傷と乳首の痛みで、しばらく、うめいていました。授乳イコール苦痛。私の最初の授乳経験は、そんな最悪なものでした。
どれだけおっぱいをあげたらよいのか、分からない!
その後も、2人分の母乳が出なかった私は、粉ミルクの力を借りることにしました。授乳の際は、助産師さんが赤ちゃんの体重を測り、1回あたりに飲ませるミルクの量を計算。私は母乳をあげた後、赤ちゃんの体重を測り、規定の量に足りていなさそうな時は粉ミルクで補いました。1日8回くらいこのような作業の繰り返しが続きました。
そうして、赤ちゃん2人が退院する日、私の不安はピークになりました。なぜなら、赤ちゃんにどれだけ授乳をすればよいか分からないから…。家には測りもなく、計算するすべもありません。そのことについて、助産師さんから特に話はありませんでした。
私は途方に暮れましたが、2人の赤ちゃんの機嫌を見ながら、授乳を続けるしかありませんでした。
「授乳は大らかにとらえる!」の言葉に助けられて
そんな私が頼みの綱にしたのは、自宅近くにいる助産師さんにおっぱいマッサージに来てもらうことでした。私はベテランの助産師さんに、疑問や思いのたけをぶつけました。
すると私の心配ごとの多くは、“初めての育児”ということが原因のようだと分かったのです。
1日トータルでどれだけ母乳やミルクをあげたのか、赤ちゃんのおしっこやうんちは出ているか、そして機嫌はどうなのか…。助産師さんは授乳に対して、大らかにとらえることの大切さを教えてくれました。
そして、こだわりすぎないことがママの余裕につながり、育児にも返ってくると諭してくれました。そんなことが分かったのは授乳が始まってから、半年以上も経ってからのこと。それからまもなく離乳食が始まったのです。
離乳食が始まってからは、粉ミルクを減らし、母乳を補佐的なものと位置づけました。母乳にこだわりすぎていた私は、赤ちゃんが1歳をすぎたころ、ようやくおっぱいが安定してきました。双子の同時授乳は大変でしたが、やっと余裕が出てきたのです。そして、1歳半で無事卒乳。振り返るとあんなにおっぱいのことを考え、赤ちゃんと密に触れあうことができた時期はありません。試行錯誤しましたが、頑張った自分を褒めたい気持ちです。
[nojico*プロフィール]
女の子と男の子の双子ママです。現在は子育てと両立させながら、ライターとして活動中です。子どもたちは4才に育ち、よく遊びよくけんかをしています。家事や仕事ははかどりませんが、笑いの絶えない日々です。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。