6歳の双子と9歳、3歳の子どもをもつ助産師。妊娠できないかも…と思っていたので、4人の子どもに恵まれたことは奇跡のよう【体験談】
名古屋市熱田区を拠点に、産前・産後のケアなどを行うHaruru助産院 助産師の伊藤はるるさん(36歳)は、9歳、6歳、3歳の4人の子どもの母親です。6歳の子は、男の子と女の子の双子。子どもが大好きだったというはるるさんに、双子を授かったときのことや双子が生まれてからの生活、子育てなどについて聞きました。
全2回インタビューの前編です。
看護師をめざしていたけれど、命の誕生を目の当たりにして助産師の道へ
はるるさんが助産師をめざしたのは、看護師の専門学校の授業で、命の誕生を目の当たりにしたことがきっかけでした。
――助産師をめざした理由を教えてください。
はるるさん(以下敬称略) 私は、最初から助産師をめざしていたわけではなく、初めは看護師になりたいと思っていたんです。小学生のころに、ひいおじいちゃんの在宅介護を担当していた看護師さんの仕事ぶりを見て「私も人の役に立てる仕事がしたいな~」と考えるようになったのがきっかけです。子どもが大好きなので、小児科の看護師になりたいと思っていました。
高校を卒業して、看護師の専門学校に通ったのですが、ある日、授業で命の誕生を目の当たりにして、本当に感動しました。先生からも「命の誕生にかかわれる産科は、心から“おめでとう”と言えるすばらしい場所です」と教えられ、「助産師になりたい」と思うようになりました。そのため看護師の専門学校を3年で卒業したのちに、助産師の学校に進みました。
卒業後は、総合病院の産婦人科で働きました。
――結婚について教えてください。
はるる 夫は、高校の同級生です。1年生からずっと同じクラスでしたが、3年生になってつき合い始めました。結婚したのは24歳のときです。
――はるるさんは4人の子がいますが、夫婦で話し合って、子どもはたくさんと決めたのでしょうか。
はるる 子どもが大好きだった私は、将来子どもはたくさんほしいなと思っていました。でも、高校2年生ごろから、生理不順で半年ぐらい生理がこないときもあったんです。婦人科で診てもらったところ「多嚢胞性卵巣症候群(たのうほうせいらんそうしょうこうぐん)」と診断されて「将来、妊娠できないかもしれない」と言われてしまって・・・。子どもが大好きだったので、本当にショックでした。
20歳を過ぎて、結婚を意識し始めたころ彼にそのことを泣きながら伝えたんです。そしたら彼は「それでもいいよ。はるるといたいから・・・」と言ってくれました。でも、本当は彼も子どもがほしかったと思います。
だから今、4人の子どもに恵まれたことを奇跡のように感じています。
妊娠8週で双子と判明。双子とわかったときは、うれしくてワクワク
はるるさんは、多嚢胞性卵巣症候群のため、長男も双子も排卵誘発剤を服用して妊娠に至ったそうです。
――双子の妊娠について教えてください。
はるる 学生のころから子どもがほしいと思っていた私ですが、とくに男の子と女の子の双子がほしいとずっと思っていました。多嚢胞性卵巣症候群のために排卵誘発剤を使ったのですが、長男を妊娠・出産できたときはとてもうれしかったです。そしてもう1人赤ちゃんがほしいと思って、再度、排卵誘発剤を使って妊活しました。
妊娠がわかって妊娠8週のエコー検査のときに、2つの心拍がピクピク動いていて「あっ、双子だ!」と、職業柄すぐにわかりました。
助産師になって、多胎妊娠のリスクも理解していましたが、それでも双子の妊娠がわかったときには、とてもうれしかったです。
あこがれの双子のママに自分がなれることが夢みたいでワクワクしました。
――双子を授かったと告げたときの、家族の反応はどうでしたか。
はるる 夫は、最初はとても驚いていました。私が双子をほしがっていたことは知ってはいましたが、不安もあったと思います。でも、私があまりに大喜びしているので、「大丈夫だろう」と思えたようです。
母は、私が高校生のときに多嚢胞性卵巣症候群と診断されて「将来、妊娠できないかもしれない」と言われたとき、言葉にはしなかったけれど親としての責任を感じていたようです。そのため長男のあとに双子を授かれて、本当に喜んでくれました。
妊娠経過は順調で、経腟分娩で双子を出産。男の子は2458g、女の子は2680gで誕生
多胎妊娠はさまざまなリスクを伴いがちですが、はるるさんは妊娠経過は順調だったそうです。
――双子の出産について教えてください。
はるる 妊娠経過は順調で、経腟分娩で双子が産める産院を探しました。多胎だと経腟分娩できる産院は限られているんです。
妊娠36週ごろから、いい陣痛がくるようにウォーキングなどをして出産に備えました。でも、なかなか陣痛がこなくて37週で陣痛を誘発するために入院。陣痛促進剤の点滴をしても陣痛がこないまま3日目を迎えたのですが、子宮口は5cm開いているので、医師と相談して人工破膜をして、朝10時に破水してやっと陣痛がきました。
私は助産師なので、陣痛の進み具合などから「14時ごろには誕生するだろうな」と考えていました。担当の助産師さんにも「14時ごろには産むね」と伝えたほどです。生まれたのは、男の子が14時10分、女の子が14時21分です。
男の子は体重2458g、身長45.7cm。女の子は2680g、身長46.8cmでした。初めて見た瞬間「小さくてかわいいな~」と思いました。
妊娠中から先に生まれるだろう第1子の性別は男の子ってわかっていたのですが、もう1人の性別はわかりませんでした。生まれて女の子とわかったとき、「男の子と女の子の双子だ~」と、本当にうれしかったです。
――家族は、出産に立ち会いましたか。
はるる 双子の経腟分娩だったので、万一に備えて分娩室には産婦人科医や小児科医、助産師が合わせて10人ぐらいいました。その中に研修医もいたと思いますが、私自身も「こんなにいるんだ」と驚きました。
夫は陣痛室でずっと付き添って私をサポートしてくれていましたが、陣痛室から分娩室に移動したとき、分娩室のバタバタとした雰囲気に圧倒されたようで中に入れずに、廊下で待っていました。そのため実は誕生の瞬間には立ち会えなかったんです。
双子が生まれて、夫が1年間育休を取得。家事・育児は担当制に
第1子の長男のときは、はるるさんが主に子育てと家事をしていましたが、2歳半の長男と双子の子育てはワンオペでは無理と判断。はるるさんは夫に妊娠中から「双子が生まれたら1年間育休を取ってほしい」と伝えました。
――夫さんが育休を取得したときのことを教えてください。
はるる 夫が1年間育休を取ったのは今から7年前のことです。当時はまだ産後パパ育休があまり普及していませんでしたが、上司が快諾してくれました。上司は「仕事のことは心配しなくていいけど、育休を取ると給料が減るけど大丈夫?」と心配してくれたそうです。
――子育ての分担について教えてください。
はるる 長男のときは、私が中心になって家事・育児をしていて、夫は気づいたときにするという、ゆるい感じだったので、私のストレスがたまってしまって・・・。そのため担当制に変更しました。
夫婦で話し合って家事は、苦にならないことを担当するようにして、私は食事や買い物担当。夫は洗濯や掃除担当になりました。
双子の育児も担当制にしました。完全母乳の双子の女の子は私が担当しました。双子の男の子は、混合栄養なので夫が担当。夫は、自分でミルクを作ったり、搾乳した母乳を哺乳びんで飲ませていました。
寝室は別々にして、私は双子の女の子と一緒に。夫は、長男・双子の男の子と一緒に寝ていました。夜泣きや夜中の授乳なども、担当した子は自分でお世話をするルールです。
一緒の寝室で寝ると、たとえば夜泣きをしたとき「夫(妻)が抱っこしてくれる・・・」と、相手に頼りがちなんです。私は、それで長男のときに寝不足が続いて大変だったので、そのときの教訓をいかしてこのカタチにしました。
――夫さんは、厚生労働省「イクメンプロジェクト 第23回イクメンの星」にも選ばれています。
はるる 夫が長男と双子の子育て体験談を送ったところ「第23回イクメンの星」に選ばれました。でも夫とはよく話すのですが、「イクメン」という言葉はいつかなくなってほしいと思っています。夫婦で子育てをすることが、ごく自然なこととして受け入れられる社会になればいいなと思っています。そうすると「イクメン」なんて言葉もなくなりますよね。
――夫さんは、以前から積極的に家事などをしていたのでしょうか。
はるる 夫は1人暮らしをした経験もなく、洗濯機も使ったことがないような人でした。でも多胎妊娠は、いつ急に入院したりするかわからないので、夫に「私が入院しても長男の面倒を見て、家をまわせるようにして!」と伝えて、双子の妊娠がわかったころから、家事も子育てもイチから教えました。
――1年間、夫婦で一緒に子育てをしてよかったことを教えてください。
はるる 長男のときは、私が中心になって育児や家事をしていたので、大変なことを夫に伝えてもピンときていないんです。そのうち夫と心の距離を感じるようになりました。
また長男が寝返りをした瞬間を動画に撮って、夫に見せてもタイムラグのせいか「感動を共有できていない」と思ったこともあります。
でも1年間夫婦で子育てをしたことで、長男のときに感じた、心の距離をまったく感じなくなりました。
寝返りをすれば「見て見て! 寝返りしたよ」と一緒に喜び合えるし、夫のほうが先に気づいて「〇〇できるようになったよ!」と教えてくれることもありました。
夜泣きがひどくて眠れないときは「僕(私)が見るから、昼寝していいよ。眠れるときに、寝たほうがいいよ」と言って、お互いを思いやれるようにもなりました。1年間夫婦で子育てができてよかったと心から思います。
お話・写真提供/伊藤はるるさん 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部
はるるさんは、「子どもたちからはいろんなことを教わります。子どもたちは私の人生の師匠」と言います。子どもたちは9歳、6歳、3歳になり、だいぶ手がかからなくなってきたので、もう1人いてもいいな~とも思っているそうです。
インタビューの後編は、子育ての悩みに追い込まれないために、ママ・パパに知っておいてほしいことを紹介します。
「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。
■伊藤はるるさん(いとうはるる)
PROFILE
Haruru助産院院長。助産師歴13年。総合病院産婦人科勤務などを経て、2021年11月に開業。子育ても仕事も大切にしたいママ・パパのために活動するNPO法人育Qひろば理事などを務める。
●記事の内容は2025年2月の情報であり、現在と異なる場合があります。