母乳の出がよかった私…でも、予想をしなかった変化の到来
現在、1歳半の息子を育てている新米ママで、ライターの【ミッキ】です。不妊治療をへて、32歳で待望の長男を出産しました。
産前から母乳ケアに励んで赤ちゃんの誕生を待つ
私は妊娠中から、うまれてきた赤ちゃんには栄養たっぷりの母乳を与えたいと思っていました。母親教室で教わった産前からできる母乳ケアにも前向きに取り組みました。最初は乳首をつまむことに抵抗がありましたが、回数を増やしていくことで、固かった乳首が柔らかくなりました。
すると驚くことに、おなかの赤ちゃんがうまれる前に微量の母乳が出るようになったのです。赤ちゃんが上手に乳首をすって、たくさん母乳を飲んで成長してくれるといいなと願いながら、赤ちゃんの誕生を待ちました。
母乳の出は驚くほどスムーズ!入院中には副乳も
予定日から9日遅れて息子が誕生。産後2日目からは母子同室育児が始まり、ついにうまれてはじめての母乳育児のスタートです。
上手に飲むことができるかなと心配しながら、乳首を息子の口元へ近づけると小さな唇で乳首をくわえ、一生懸命飲もうとします。小さな体でクピクピと母乳を飲んでいる姿は本当に愛おしく、言いようのない幸せな気分になったのを覚えています。
しかし、ふと気がつくと、片方のおっぱいから大量の母乳が出て、ブラジャーにしみこみ、大変なことに。大あわてで母乳パッドを入れました。
入院中はほかにも驚きの連続でした。なんと胸の脇にしこりができてしまったのです。あわてて看護師さんを呼ぶと「副乳ができていますので、これで冷やしてください」と冷却パッドを渡されました。
おっぱい環境が大きく変わり、まさに母になったと感じた瞬間でした。
乳腺炎にならないよう搾乳しては保存を繰り返す
退院してからも大量の母乳が出て、息子は授乳のたびにたくさん飲んでくれました。その反面、授乳の間があくと胸が張ってきて、乳腺炎の危険性が高くなってしまいます。息子が寝ている間に、搾乳器を使って余分な母乳を出していました。
余分な母乳は冷蔵庫で保管していましたが、結果的に捨てることが多かったです。産後1ヶ月ほどは、乳腺のつまりを予防するための搾乳器が手放せませんでした。
気がつけば混合授乳、そしてへ
ところが、産後3ヶ月をすぎたころ、予想しなかった変化が訪れます。少しずつ母乳の出が悪くなり、それと反比例して粉ミルクの量が多くなりました。そのうち粉ミルクの味になれてしまったのか、粉ミルクを与えないと大泣きするようになったのです。母乳を長く与えてもミルクを飲むまで泣くので、ミルクの量が多すぎないかと随分と悩みました。
地元の保健師さんに相談したところ、粉ミルクに頼る育児もよいと太鼓判をおしてくれました。そんなこともあり、生後3ヶ月以降は粉ミルクの比率が一気に上がりました。
そして生後8ヶ月をすぎたころ、とうとう来るべきときがやってきました。母乳の量に満足しないのか、息子はたびたび乳首をかむようになったのです。歯が生えだしたところだったので、かまれると悲鳴を上げるほど痛かったのを覚えています。毎回この痛みに耐えるのは無理だと判断し、早々に断乳することを決意しました。
急に断乳を決意したため、息子にはかわいそうな思いをさせたかもしれません。でも粉ミルクの味が好きなのか、案外すんなりと受け入れました。その日からは粉ミルクを美味しそうに飲んでくれています。
妊娠41週目、身長49㎝、体重3156gでうまれた息子は、母乳やミルクをたくさん飲んで、元気に成長してくれました。赤ちゃん時代は、試行錯誤を繰り返しながら授乳と向き合った日々でした。新生児期にたくさん母乳を与えることができたので、私としてはとても満足しています。
母乳育児の期間はママによって異なりますが、赤ちゃんとママとの関係を考えながらいつか離れないといけないときがやってきます。その子にあった、ころあいのよい時期は必ず訪れます。
[ミッキ*プロフィール]
2年におよぶ不妊治療を経て、待望の長男を授かりました。現在は、在宅ライターの傍ら、育児と家事に奮闘する毎日を送っています。
最近では、エイジングケアに興味が出て、息子にお母さん綺麗だねと言ってもらえるのがささやかな目標です。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。