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【小児科医リレーエッセイ 8】 「ことば」がなくとも「会話(=コミュニケーション)」はできます

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母のキスの赤ちゃん
kuppa_rock/gettyimages

「日本外来小児科学会リーフレット検討会」の先生方から、育児に向き合っているお母さん・お父さんへのメッセージをお届けしている連載の第8回は、福島・佐久間内科小児科医院の佐久間秀人先生です。「親子のコミュニケーションで大切なのは、子どもの心を安心感で満たすこと」と、佐久間先生は言います。

多くのお母さん・お父さんが抱いていることばの不安

「うちの子、ことばが遅くないかしら」、「もっとたくさん話せないと、幼稚園に入ったらいじめられるかも」。
そんな心配をお持ちのお母さん・お父さん、割と多くいます。
「〇〇さんちの□□ちゃんはあんなことまで言えるのに、うちの子はまだ全然で・・・」。
そんな相談を受けることもあります。どうしても、だれかしらと比較してしまうのです。比較することで、お母さん・お父さんの不安が高まっていく。両親から不安な目で見られると、子どもの気持ちも不安になってしまうでしょう。
育児において何より大切なことは、子どもの心を安心感でいっぱいに満たす気構えです。

気持ちのやりとりがことばの始まりです

生まれてすぐの赤ちゃんは、泣き声を上げることしかできません。3カ月を過ぎるころになると、あやされるとキャッキャと笑うようになります。
7カ月ごろには、「ナンナンナン」、「パッパッパ」など意味はわからないものの、赤ちゃんなりに何かを伝えようとする意思が感じられる声を発します。「喃語(なんご)」と呼ばれます。
1歳過ぎから意味のあることばを発するようになり、3歳ではもはや「いっぱし」の口を利くようになります。このころには、ことばによるコミュニケーションはほぼ成立したといえるでしょう。

生まれてすぐの赤ちゃんの泣き声には、「生まれてきたんだぞー!」という「気持ち」が込められています。
面白いのは、生涯笑ったことなどないように見えるいかつい顔の男性でも、初孫が生まれ抱っこすると、途端に顔を異様にほころばせ、「じいじでちゅよー。はじめましてでちゅねー」と、信じられない変ぼうを遂げることです。
まさしくそこに、「コミュニケーション」が成立しています。言い換えれば、気持ちのやりとりができている限り、ちょっとやそっと遅れていても、いずれことばは出てくるものです。

ものには名前があることがわかると「輝く人さし指」が始まる

10カ月ごろ、赤ちゃんはいろんなものを指さすようになります。「あれはなあに?」の問いかけの時もあるし、「うわ、あれ見てっ!」と何かを見つけた喜びを伝える指さしもあります。お母さん・お父さんに気持ちを伝えるための指さしです。これを「輝く人さし指」と呼ぶ発達の専門家もいます。
また、このころには「これ、かわいいね」と声をかけつつお母さん・お父さんがぬいぐるみを指さすと、子どもはぬいぐるみに目を向けるようになります。このようなお母さん・お父さんと子どもの、ぬいぐるみを介してのつながりを三項関係といいます。ぬいぐるみを通して、「かわいい」という気持ちがお母さんと子どもに共有され、それがやがては、子どもの中で「かわいい」ということばへと発展していきます。

ひーちゃんのこと

ひーちゃん(女の子)が、お母さんと一緒に初めて当院を受診されたのは、1歳になったばかりのころでした。お母さんには手話通訳者さんがつき添っていました。お母さんもお父さんもろうあ者とのこと。
症状は朝から2回の嘔吐。せきも出ている。どうやら、せき込んでの嘔吐のようでした。衰弱状態ではないものの、おびえた目で私を見ています。お母さんも緊張した面持ち。私と通訳者さんのやりとりと、内容を伝える手話を食い入るように見つめます。真剣なまなざし。

お母さんと通訳者さんとの手話でのやりとりの間、引き出しから積み木を出し、「これ、つ・み・き」と指さすと、ひーちゃんはしっかり積み木を見つめました。三項関係成立です。
それにしてもおびえきった目つきなので、「そんなに僕のこと怖いのかな」と振ると、「だいじょぶだよね、ひーちゃん。はじめてだからしょーがないよねー」と通訳者さん。「この先生ね、怖そうだけどほんとは怖くないんだよ」と、一体何を言いたいのか。

結局は「風邪と消化不良」の診断。その後お母さんが熱心にいろいろと質問されるので、診察そのものよりその説明に時間を要しました。お母さんはひーちゃんの聴力にも不安を抱いていたようです。「声をかけるとすぐ反応するので、心配ないですよ」と答えると、安心したご様子でした。

それから、ひーちゃんたちはちょくちょく受診されるようになりました。いつもだれかしら通訳者さんがつき添ってくれます。いつしか、私の診察と説明が一通り終わると、今度はお母さんがひーちゃんに説明するようになりました。
ろうあ者であるお母さんが声を発し、身ぶり手ぶりを加えつつ、必死に何かを伝えます。ひーちゃん、じっと聴き入っています。お母さんとひーちゃんにしかわからない、まさしく、喃語のやりとりのような会話。
――だいじょうぶ、だいじょうぶ、おねつはそのうちさがるって、ごはんも、たべられるだけたべればいいって。でも、おみずはすこしずつのんでねって――
私の勝手な推測です。でもね、ひーちゃんには確実に伝わっています。最後にお母さん、ひーちゃんをひざに座らせギュウッと抱っこ。お母さんの「安心感」をひーちゃんに注入しているかのように見えます。

お父さんが来た時はもっとすごい。顔をなで回しチューのしぐさで、ほんと大騒ぎ。むしろ健聴者の親より、濃厚な親子の信頼関係をつくっています。
しばらくたってから、通訳者さんから聞かされました。ひーちゃんたちはもともと、ご自宅近くのクリニックをかかりつけ医にしていたそうです。ある日受診した時、「どんなせきが出るの?」と何気なく医師に聞かれたとのこと。聞こえないのですからどう答えていいかわからず戸惑っているお母さんに、「母親なのにわかんないの?」。
おそらくは、その時のその医師にはお母さんがろうあ者である意識は薄れていたのでしょう。悲しいことに、医療現場に限らずこういったことはあり得ます。私自身も気をつけなければなりません。

もうすぐ、ひーちゃんは3歳になります。初めて会った時に比べ、ゆっくりではあるにしても、ことばは着実に増えています。
当院を受診した時期に前後して、お母さんが職場復帰したため、ひーちゃんは保育園に通い始めていました。その分風邪もひきやすくなったにしても、ことばのインプットの機会は格段に増えたのでしょう、「あー」だけだったのが、1歳半ごろには「ヤダ!」なんて言うときも出てきました。そのうち、「タッチ!」と私が手を掲げると満面の笑みで「タッチ!」。 
失礼ながら正直なところ、私には不安がありました。
大丈夫なのか・・・。
ことばのない家庭に育つ子どもが、ことばを獲得することは可能なのか。
私はつくづく、先を読めないヤブ医者である自分を実感しています。気持ちのやりとりこそがコミュニケーションと頭ではわかったつもりのまま、ひーちゃんの力強い発達を見通せなかった。
ひーちゃんには、ことばはなくとも、見つめ合うこと、笑い合うこと、身ぶり手ぶり、そんな暮らしの体験の中での親子の気持ちのやりとりの積み重ねがあった。そして、手話通訳者さんたちをはじめとした多くの方々とのかかわり。ひーちゃん一家は、一家3人だけで生きているわけではなく、さらには、保育園という新しい環境が、ひーちゃんのことばの力をぐーんと押し上げた。
つい先日の受診の時、帰り際ひーちゃんが叫びました。
「また来るね!」。
「おっ、おおうっ!」
なんだかね。
――ヤブ医者わかってるけどがんばってね――
励まされた気がしました。
ひーちゃんに、子どもの発達のすごさを教えてもらいました。こんな歳になった私でも、まだまだ学ぶことができる。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ひーちゃん親子を当院に連れて来てくれた、手話通訳者さんたちにも感謝です。
人が人を支え、助け合う。子どもをはぐくむ。
こんな時代、こんな状況だからこそ、失ってはいけないものがあるのですね。

文/佐久間秀人先生 
(医療法人クラプトン 佐久間内科小児科医院・院長)

1986年獨協医科大学医学部卒業。獨協医科大学第3内科(現血液・腫瘍内科)入局。主として血液疾患診療に従事。大学院での研究テーマは悪性リンパ腫。1996年より佐久間内科小児科医院勤務。2008年より現職。開業医として一般内科・小児科診療、心療内科(主として発達外来)、在宅医療(癌末期含む)、地域子育て支援、禁煙支援、手話通訳者支援等に着手。「子どもの心」相談医。

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