“母乳育児”にとらわれ過ぎてしまった私。試行錯誤してたどり着いた私の最良の選択
現在、2人の娘の育児に奮闘しながら、在宅にて仕事をしているライターの“セイコ”です。私は高齢初産で、42歳で長女を授かりました。初めての妊娠と出産を終えた私は、憧れの母乳育児をするために悪戦苦闘しますが…。
“母乳育児”という言葉にとらわれ過ぎてしまった私
長女を出産したのは、“母乳育児”を推奨している産院。それだけに産前産後の助産師さんによる母乳ケアは充実していました。出産前、母親学校で話を聞いたり、乳首のケア方法を教わったりするたびに、私の母乳に対する憧れも強くなっていきました。
しかし現実は…。そう簡単ではありませんでした。体質もあるかとは思いますが、高齢出産だからなのか、満足に母乳が出てくれません。結局、産後3日目でミルクを飲ませ、“混合育児”がスタート。
産院の教えに従っていれば、誰でも母乳育児ができるものと思っていたのに…。ミルクを足すたびに、母親として当たり前のことができていないような、惨めな気持ちでいっぱいになったのを思い出します。
ベビースケールを借りてまで体重を気にしていた日々
助産師さんからは「ミルクを十分与えてしまうと吸ってくれなくなるから、少なめに。赤ちゃんも上手に吸うための練習が必要だし、とにかく吸ってもらってね」という母乳指導がありました。
そのアドバイスを支えに、退院してからも、「いつかは完母(完全母乳)!」を目標に過ごしました。母乳が出るようにと、夜中に授乳で起きた際には、おにぎりを食べて栄養補給、母乳に良いといわれるハーブティをがぶ飲みし、体は冷やさない、などなど。努力を重ねました。
今思うと、笑ってしまうくらい必死だったなと思います。どのくらい母乳を飲んだのか、それに合わせて多すぎない量のミルクを作らなければ…。体重も気にしてあげないと…。子どもの体重と母乳やミルクのことで頭がいっぱいの私は、わざわざベビースケールまでレンタル。
日に何度も子どもの体重を測っては、“授乳のルール”のようなものを思い出す毎日。少なめでもミルクを1度与えてしまえば、おなかがすいても次のミルクまで間隔をあけなければならない…など。でも、気持ちだけが焦るばかりで、母乳は出てはくれません。次にミルクを与えられる時間まで、泣いている娘を抱っこしながら、部屋の中をひたすらぐるぐる歩き続けたこともありました。
完母にもなれず、完ミルクにもせず、混合育児生活
ある程度の期間が過ぎると、私も足りないなりに母乳が出るようになりました。またミルクを与えることへの抵抗もなくなって、混合育児に落ち着きました。
その後、1度だけ乳腺炎になってしまい、母乳専門のマッサージの先生のところへ行ったときのこと。「母乳で足りているのでは」と言われました。
「確かにちゃんとおっぱいも張るし、前よりは増えているのかなあ」と思い、一時的にミルクをやめたりしました。でも結局、体重の増え方を見て心配になり、再開しました。文字どおり試行錯誤しながらの授乳でした。
そのときに思ったことは、相談する窓口は必ずしも母乳外来でなくてもよいのかなということでした。母乳相談などに行くと、母乳を増やす方のアドバイスを主に受けることになるような気がします。もしかしたら、市の保健師さんの栄養相談となると、全く違う意見が聞けたのかもしれないなと思います。
そのときは必死でしたが、今思い返せばなんて自分勝手だったのかと思ってしまいます。母乳はあくまで育児の手段のひとつであり、赤ちゃんにとって大切なのはおなか一杯で満たされて眠ることだったでしょうに…。最初は母乳にこだわっていた私ですが、試行錯誤してたどり着いた混合授乳は、私と娘にとってはよい選択だったと思います。
[セイコ*プロフィール]
年齢的にも娘1人かと思っていたら、まさかの2人目を授かり、現在5歳と3歳の姉妹を育児中です。2人目は気楽に臨機応変で育てました。在宅にて広告マンガ制作やライティング、ときどき動画制作などをしています。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。