空に還った子どもたち。「亡くなった子どもの命は家族に何かを残していて、その命の意味はずっと続く」~新生児医療の現場から~【新生児科医・豊島勝昭】
生まれつきの病気や早産、お産の途中で具合が悪くなった赤ちゃんたちが治療を受ける新生児集中治療室(NICU)。その現場では、病気などを乗り越えて成長する赤ちゃんがいる一方で、治療に困難さがある病気のために一生を終える赤ちゃんたちもいます。
テレビドラマ『コウノドリ』(2015年、2017年)でも監修を務めた神奈川県立こども医療センター周産期医療センターの豊島勝昭先生に聞く短期連載。第9回は、空に還った命について聞きました。
NICUですべての命を救えるとは限らない
――生まれてNICUに入院する赤ちゃんのなかには、空に還ってしまう子もいます。
豊島先生(以下敬称略) 神奈川県立こども医療センター(以下、神奈川こども)のような小児専門病院では、大学病院でも治療が難しい病気が胎児診断でわかり、当院で出産した上でお誕生間もなくから集中治療を始めることも多いです。
神奈川こどもは全国的に見ても救命率が高い病院の1つです。毎年約400人ほどの赤ちゃんたちがNICUに入院してきますが、そのうちの約8%の赤ちゃんたちはNICUで一生を終えます。すべての命を集中治療で救えるとは限らないことを日々、実感しています。
根本的な治療法がまだないような病気もたくさんあり、子宮や胎盤で守られているお母さんのおなかの中でなら生きられるけれども、生まれてきたあとは長くは生きられないかもしれない可能性もある、ということを胎児診断からお伝えすることもあります。
――長くは生きられないかもしれない赤ちゃんと家族は、どんなふうに過ごすのでしょうか。
豊島 生まれたあと、NICUでさまざまな治療を受け続けている赤ちゃんとそれをそばで応援し続けている家族もいますし、NICUで治療を受け続けるよりは、在宅医療でできる範囲のことをしながら家族と生活する時間を大切にしたいと希望する方もいます。
家族とともに1歳3カ月の命を生きためいちゃん
――どなたか印象に残っている家族のことを教えてください。
豊島 2022年12月に生まれためいちゃんは、先天性の染色体異常や心臓病があり、神奈川こどものNICUに転院してきました。ご両親は、NICUでめいちゃんと長い時間をともに過ごしていましたが、お兄ちゃんのいるお家での生活を大切にしたいという希望でした。長くは生きられない可能性もあるめいちゃんでしたが、少しずつ成長し、2023年の3月にNICUを卒業して在宅医療をスタートしました。
ご両親はめいちゃんの在宅医療ケアをしながら、水族館や夏祭り、お兄ちゃんの保育園の運動会に行くなど、家族での日々を1日1日大切に過ごしていました。
――めいちゃん家族はその後どのように過ごしていましたか?
豊島 ご両親は、いつか来てしまう別れの日も覚悟しながらも、めいちゃんとの日々を大切に過ごし、めいちゃんは1歳のお誕生日を迎えることができました。しかし、めいちゃんが1歳3カ月になったころ、自宅の近くの病院に緊急入院されて、そのまま一生を終えました。その連絡を受けたNICUスタッフは突然のことに驚き、ご家族の悲しみに心を寄せていました。そんなときに、ご家族が神奈川こどものNICUを再訪問してくれました。
ご両親は、めいちゃんの生きた証しに思える家族アルバムを2冊作って1冊を当院のNICUにプレゼントしてくださったんです。そこには自分たちが知らないめいちゃんのさまざまな表情がありました。めいちゃんとご家族の日々にスタッフ皆で感動し、頑張っためいちゃんの日々をたたえたい気持ちでした。
家族と医療スタッフで喜びも悲しみもシェアしたい
――めいちゃんと神奈川こどもとは思い出のアルバムでつながっているのですね。
豊島 それだけではありません。めいちゃんが空に還ったとき、お母さんは第3子を妊娠中でした。その後、お母さんはめいちゃんの弟を神奈川こどもで出産しました。
つらいことや悲しみもあった神奈川こどもだけれど、めいちゃんがいた場所で弟くんを出産したいと思ってくれた気持ちをとてもうれしく感じました。悲しみを共有したことがあるご家族と その悲しみも大切にしながら、 悲しみと共にある喜びを感じ合わせてもらえることに感謝でした。
お子さんを亡くした悲しみの中での次の妊娠には、無事に生まれるてくるかどうかの不安や緊張感もあれば、産後に再度悲しみが強くなったり、弱音を吐くわけにはいかないというような気持ちでつらくなることもあると思っています。めいちゃんのためにも、弟くんはめいちゃんの生まれ変わりではないし、めいちゃんも弟くんもそれぞれの命をたたえながら、ご家族を応援できるような神奈川こどもでありたいと思っています。
――めいちゃんの弟さんは、無事に生まれて退院しましたか。
豊島 はい、めいちゃんご家族の2度目の神奈川こどもの退院を見送りました。そして、しばらくたって温かく感じる再会がありました。
神奈川こどもでは毎年、病院で一生を終えたお子さんや、退院後に在宅医療やほかの病院でお亡くなりになったお子さん、お母さんの胎内で一生を終えた赤ちゃんたちを含めて病院全体で行う慰霊式があります。空に還ったお子さんたちの名前を1人1人読み上げて、会場に集った全員で献花をします。
診療科や職種を越えて多くのスタッフが集まります。そして、慰霊式のあとには、参加してくれたご家族と診療を担当したスタッフが再会して子どもたちの命を共にしのびます。ご家族はお子さんの入院当時を振り返っての思い、時間がたって感じている願いなどを伝えてくださり、私たちにさまざまな気づきをいただく機会です。
神奈川こどもで働き続けているスタッフにとって皆が大切に感じている慰霊式です。
その慰霊式に、めいちゃんのママとパパが、生後間もない弟くんとお兄ちゃんを連れて来てくれました。
子どもたちは、その子を知る人の心の中で生き続ける
――集中治療のなかで、子どもたちの命の終わりに立ち会うこともある医療スタッフにとって、ご遺族との再会は大切な意味があるんですね。
豊島 わが子を亡くされたご家族の悲しみは、けっして消えることがありません。波のように繰り返し胸に押し寄せると思えます。でも、<忘れたい悲しみ>ではないとも思えます。
ご家族にとって、お子さんと過ごした日々で楽しかったこと、お子さんたちのかわいらしさ、命から気づかせてもらった気持ちなどを語らえることが、時間とともに悲しみが温かさを帯びていき、その子の存在がご家族の道しるべのように生き続けることにもつながる気がしています。
たとえおなかの中で命を終えた赤ちゃんだとしても、生まれて数日間の命だったとしても、子どもたちの命は家族に何かを残していて、その命の意味はずっと続くと思えることがあります。
私たち医療者もご家族と話をすることで、喪失感が埋められていくように思います。退院して在宅医療をしている子の場合、NICUのスタッフはその子がどんなふうに過ごしていたか、どんな最後を迎えたかを知らないままのこともあります。だから、再会したご家族から、その子が家族とどんなふうに過ごしていたかを聞くことで、私たちの喪失感を埋めてもらえることも経験します。
――慰霊式のほかに、お子さんを亡くされたご家族のための支援はあるのでしょうか?
豊島 神奈川こどもでは、お子さんを亡くされた経験をもつ家族同士で対話する語りの会も定期的に開催しています。子どもを亡くしたあとのご両親は、お母さんとお父さんとしてその子のことを話せる場が少なくなっていきます。お互いの子どものことを話し、聞き合う機会です。お子さんが亡くなられた理由や年齢はそれぞれでも、わが子を亡くされたという同じ経験をしたことがあるご家族同士だからこその気持ちの支えがあると感じています。
医療者がいると話しづらいこともありますので、その会には医療者は参加せず、司会進行(ファシリテーター)役のスタッフのみが参加します。会で話し合われたご家族の思いは、後日、参加していなかったスタッフに伝達してくれています。病院や在宅医療で頑張った子どもたちとともに過ごしたご家族のさまざまな思いや願いが、その後のNICUの集中治療や家族支援を変えてくれてきたと思えています。
死産も大切なお産。赤ちゃんの命をたたえたい
――出産の際などにお子さんを亡くした直後、親に対してどんなケアをしているか教えてください。
豊島 神奈川こどもは、胎児診断で重い疾患があることがわかった赤ちゃんの妊娠から出産も見守っているので少なからず死産もある現場です。死産や誕生後まもない死に立ち会う助産師さんは少なくありません。
私が当院の産科の助産師さんたちに感動したのは、死産の赤ちゃんも、生きて生まれてくる赤ちゃんと同じように、大切にお産をサポートして、赤ちゃんとご家族の時間を大切にしていることでした。
おなかの中でしっかりと生きた赤ちゃんが生まれた命をたたえています。だからこそ、死産を経験されたご家族が、悲しみのある出産だったはずの当院で、下の子を産みたいと再度訪れてくれることも多いのかなと思っています。
NICUに長く入院する中で、入院中にお子さんが亡くなられたり、めいちゃんのご家族のように、在宅医療で一生を終える赤ちゃんたちの、つらく厳しい現実もあります。それでも、お子さんと一緒に過ごした大切な場所として思ってもらえたり、一緒に過ごしたスタッフにまた会いたいと思ってもらえるような周産期医療センターでありたいと思っています。
お話・監修/豊島勝昭先生 写真提供/ブログ「がんばれ!小さき生命たちよ Ver.2」 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
「亡くなった子どもたちの話をすることは、その子が心に生き続けること」の言葉が胸に響きました。子どもが亡くなることもある医療現場だからこそ、お子さんが亡くなられたあとのご家族と周産期センターのスタッフの再会はその命の意味を未来へつなぐのかもしれません。
●記事の内容は2024年12月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。