男の子として出生届を提出。でも、女の子として育てることに。約5000人に1人に発症する性分化疾患。もし診断されたら…【専門医】

生まれたときに性別の決定に検査が必要な性分化疾患(以下、DSD)は、ヨーロッパで行った調査では5000人に1人が発症しているとされます。どのような検査や治療を行うのでしょうか。慶應義塾大学病院の性分化疾患(DSD)センターで、DSDの患者さんの検査、診断、治療、支援を行っている石井智弘先生と浅沼宏先生に聞きました。
全3回のインタビューの2回目です。
乳児期にDSDと診断したら、選択した性に近づけるように手術することも
――石井先生と浅沼先生が勤務する慶應義塾大学病院の性分化疾患(DSD)センターを受診するのは、何歳くらいの子が多いですか。また、DSDの可能性がある場合、どのような検査を行いますか。
石井先生(以下敬称略) 新生児から成人まで幅広い年齢層の方が受診します。診察の結果、DSDの可能性が高い場合は、染色体、性腺、内性器、外性器の状態を確かめるために、内分泌学的検査、画像検査、遺伝的検査を行います。また、必要に応じて心理学検査も行います。
内分泌学的検査とは?
・・・視床下部、下垂体、精巣、卵巣などのホルモン刺激検査など
画像検査とは?
・・・超音波、CT、MRI、膀胱尿道造影、膀胱尿道鏡、腹腔鏡など
遺伝学的検査とは?
・・・染色体検査、SRY遺伝子定性検査、遺伝子解析など
心理学的検査とは?
・・・ジェンダーアイデンティティにかんする検査など
――検査結果を受けて、男の子なのか女の子なのかが、わかるということでしょうか。
石井 わかるというより、どちらの性に割り当てて育てていくか保護者と一緒に考えるために相談に乗り、支援をすることになります。
欧米などでは、性別を決定しないで養育するという考え方もあるようですが、現在の日本では、わが子が男の子か女の子かを両親が決めて、手続きをして育てていくことになります。
そして、決めた性に近づける治療をすることが、その子が生きにくさを感じにくくなることへつながるのではないか、という考え方です。
――乳幼児期はどのような治療を行うのでしょうか。
浅沼先生(以下敬称略) 乳児期に受診される患者さんは、生まれてすぐから1歳6カ月ごろまでが多いです。検査の結果DSDと診断された場合、外性器・内性器を選んだ性に近づける手術を行います。手術は基本的には、生後6カ月以降2歳ごろまでにに行います。生後数カ月だと、外性器も内性器も小さく、手術がとても難しくなるからです。反対に、大きくなると体の動きが強くなり手術の創の治りに影響が出たり、本人の記憶にも残るようになったりなどの問題が出てきます。
――手術後も治療は必要になりますか。
浅沼 体の成長が一段落する15歳ごろまでは、年1回程度、経過観察を行います。時に、形成した尿道や腟が狭くなり追加の手術が必要になることもあります。
大人の体へと変わっていく15歳ごろに性機能を調べて、精巣や卵巣から性ホルモンが出ず、第二次性徴が見られない場合には、男性ホルモンや女性ホルモンなどのホルモン補助療法を行うことがあります。
――心理学的検査とはどのようなもので、何歳ごろ行うものでしょうか。
石井 心理学的検査では、今の性別と自分が感じている性別に食い違いがないか、子ども本人にインタビューします。子どもが今の性別に違和感を持っている場合は、本人、保護者と相談しながら、どうすれば子どもが生きやすくなるかを考え、サポートしていきます。
男の子として出生届を提出。でも診察・相談の結果、女の子として育てることに
――DSDの具体的な症例について教えてください。
石井 個人情報保護の観点から、実際の例をもとにアレンジした模擬症例として、「46,XY性分化疾患」の例についてお話しします。
出産時は男の子と診断されたけれど、外性器は女性型だったので、女の子として育てることに決めたという例です。この赤ちゃんは、DSDの中の「アンドロゲン不応症候群」でした。
里帰り出産した病院で、男の子として出生届を出すことをすすめられたそうですが、両親が子どもの性別について悩んで当院を受診されました。診察および相談した結果、両親は女の子として育てることに決めました。
アンドロゲン不応症候群とは、男性ホルモンが作用せずに、外性器が女性型になる先天的な体質です。染色体は46,XYで、性腺は精巣ですが、多くの場合、精巣はおなかの中に隠れています。血液中の男性ホルモンは、同年齢の男の子と比べてむしろ高めになります。しかし、ホルモンを受け取ることができない特徴をもつ疾患なので、男性ホルモンの作用はありません。男性ホルモンがまったく作用しない「完全型」の場合には女性として育てられ、その後も女性として違和感を持つことなく生活していることが多いです。
一方、この赤ちゃんは、男性ホルモンの作用がわずかに残るタイプの「完全型に近い部分型」のアンドロゲン不応症候群でした。
出産時、外性器が男の子とも女の子とも判断できない状態であったことから、出産した病院で検査が行われました。それらの結果を元に、男の子として育てることをすすめられ、出生届も男の子として出し、男の子の名前をつけていました。
しかし自宅へ帰ることをきっかけに、当院を紹介され、生後6カ月ごろに受診。診察したところ、外性器が手術も必要としない女性に近い型であったことなど、さまざまな点を説明しながら両親と相談し、戸籍上の性別と名前を女の子に訂正する手続きを行いました。
出生届の期日を過ぎていても、医師がDSDの診断をすることで、性別の訂正などは認められます。
その後も女の子として生活することに支障はなく、元気に暮らしています。
子どもの性別を決めたらそれを信じて、普通の子育てをしてほしい
――生まれた直後にDSDの疑いがあると診断された場合、保護者にはどのような話をしますか。
石井 内性器や外性器が典型的な発達をしていないことを、できるだけわかりやすく説明するようにしています。その上で、日本の法律では生後14日以内に出生届を出さなければいけないことになっているけれど、DSDと診断された新生児は、性別を慎重に決める必要があるので、医師の診断書があれば出生届の提出を遅らせることができることを説明します。
とはいえ、退院するころには性別を決めなければいけません。ママ・パパが子どもの性を決めるのを手助けするために、どちらの性にしたほうが、子どもが日常生活を不自由なく暮らしていけるか、大人になったときの性生活や妊娠の可能性なども含めて、それぞれの性のメリットとデメリットを説明します。
そして、「性別を決めたら、それが正しいと信じて育ててください」とお話しします。
浅沼 私のもとを受診される際は、ママ・パパが子どもの性別を決めた後なので、決めた性により近づけるために、どのような手術が必要かという説明します。
それとともに、「DSDは命にかかわる病気ではなく、社会生活は問題なく送れるので、普通に子育てしてください」というお話しをしています。
DSDへの正しい理解が広まり、だれもが自分らしく生きることを認め合う世の中に
――DSDの当事者の体験をまとめた書籍や、当事者が自身の疾患について語るテレビ番組も作られるようになり、以前にはDSDをテーマにしたドラマも放映され ました。日本でもDSDのことを理解し、受け入れる土壌ができつつあると考えられますか。
石井 私が担当している患者さんの1人は、「こうした動きはいいことだ」と肯定的にとらえていました。とくにテレビの報道番組は、多くの人にDSDのことを知ってもらえる機会になると思います。ただし、正しい知識が広まらなければ意味がないばかりか、かえってマイナスにもなりかねません。まずマスコミの皆さんが正しい知識を身につけ、それをベースにして発信してくれることを切に願っています。
浅沼 人は、その人らしく生きていくことが何よりも大切です。それは一般の人もDSDの人も同じ。自分と違う、普通と違う、女らしくない、男らしくない、そんなものさしでお互いを見ない。それはすべての人の幸せにつながるのではないでしょうか。
お話・監修/石井智弘先生、浅沼宏先生 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部
DSDは命にかかわる病気ではないことが多く、社会生活は普通に送れるとのこと。しかし、DSDの人が生きやすい社会を作るには、私たち1人1人がDSDに関する正しい知識を持つことが大切なようです。
石井智弘先生(いしいともひろ)
PROFILE
慶應義塾大学医学部准教授(小児科学)。同大学病院 性分化疾患(DSD)センター 副センター長(兼任)。1992年同大学医学部卒業。総合太田病院(現・太田記念病院)小児科、慶應義塾大学医学部助手(小児科学)、テキサス大学サウスウェスタンメディカルセンター内科リサーチフェロー、慶應義塾大学医学部助手(小児科学)、助教(小児科学)、専任講師(小児科学)を経て、2017年より現職。日本小児内分泌学会 理事、性分化・副腎疾患委員長、日本生殖内分泌学会 理事、性分化疾患の診療ガイドライン作成委員長。
浅沼宏先生(あさぬまひろし)
PROFILE
慶應義塾大学医学部准教授(泌尿器科学)。同大学病院 性分化疾患(DSD)センター 副センター長(兼任)。千葉県船橋市出身。1990年愛媛大学医学部医学科卒業。東京都立清瀬小児病院(現・都立小児総合医療センター)泌尿器科医長、米国インディアナ大学リサーチフェロー、慶應義塾大学医学部専任講師(泌尿器科学)を経て、2017年より現職。日本泌尿器科学会代議員(小児泌尿器科部会長)、日本小児泌尿器科学会評議員。専門領域は子どもの腎泌尿生殖器疾患。