まさか自分が“産後うつ”に!? 24時間命を預かる重圧で心が不安定に…
「何を憂いでる?」”苦悩する”しぐさをする我が子
小学生の一人っ子を育てながら、フリーランスで編集やライティングの仕事をしている“チャーミー小結”です。妊娠適齢期を過ぎての妊娠で、切迫早産で管理入院したのち、無痛分娩の計画出産を選択しました。妊娠出産でホルモンバランスが急激に変化した結果、産後の心身にさまざまな症状が現れました。
愛しい赤ちゃんに母性があふれる反面、慟哭は突然に
それは、退院して自宅に戻り、和室に一組の布団を敷きっぱなしにして“産後の肥立ち”をしていた1週間目の時期でした。母が家事全般の手伝いに来てくれていて、何も憂慮することはなく、のんびりと赤ちゃんの世話だけをしていればよい状況のはずでした。
赤ちゃんや母と離れて唯一、1人きりになったトイレタイム。フッと一息ついたとき、突然頭の中に、あるイメージが浮かんできました。それはなんと“源平争乱ののち、6歳の幼さで壇ノ浦に沈んだ安徳天皇”のことでした。
なぜかその悲劇の場面が頭と心を一気に支配し、怒濤のように涙があふれ出てきて止まらなくなったのです。「もはやこれまで。捕まるくらいならこの子を抱いて、海に身を投げよう」。その無念さ、悔しさ、悲しさはどれほどだったか。史実では祖母の“時子”に抱かれて入水したとされていますが、子どもを持って初めて押し寄せた、母としての感情でした。
ひとしきり泣いたらハッとして我に返り、「泣いた顔を見せて母に心配を掛けてはいけない。早く赤ちゃんのそばに戻らなきゃいけない」と、必死に涙を拭いて平静を装い、トイレから戻るのに30分くらいかかりました。
“泣き声が聞こえる!?” 幻聴で入浴タイムが不安に
次に現れた異変は“幻聴”でした。季節は夏で、お風呂に入ってシャンプーしているときのこと。ザーっというシャワーの音に紛れて赤ちゃんが泣いている声が聞こえてきました。
慌ててシャワーを止めて、浴室のドアを開けて耳を澄ましますが、泣いてはいない様子。「気のせいかな…」と再びシャワーを始めた途端、やはりどうしても赤ちゃんの泣き声が聞こえてくるのです。
「今度は本当に泣いている?」と、何度も止めては「気のせいだった…」の繰り返し。ほとんど洗った気もしないまま急いで浴室を出て、タオルで体を拭く時間も惜しんでガウンをはおり、足早に赤ちゃんの元に戻る毎日でした。リラックスするための入浴が、赤ちゃんのことが心配で異常なほど神経質になってしまい、赤ちゃんから離れる恐怖の時間になっていたのでした。
赤ちゃんが心配で仕方ない! 命を預かる責任の重圧
初産での新生児期は、育児の何もかもが分からない状態で、育児書を傍らに置いて、その通りに実践していました。退院時にもらった育児日記に、授乳した分数と回数、おむつを替えた時間や内容を克明に記録し、ぐっすり寝ている時は「まさか息をしていない?」と、ティッシュを鼻に近づけて確認したりもしました。
さらに、母乳育児で少食な子だったので、少し飲んではおなか一杯になって寝てしまい、すぐまたおなかが空いて泣いて欲しがるという頻回授乳になりました。
そのため慢性的な睡眠不足に陥り、眠っても「寝返りして、赤ちゃんをつぶしてしまうのではないか」、「乳幼児突然死症候群になるのではないか」と不安で熟睡できず、24時間命を預かる重圧から精神を病んでいきました。
“産後うつ”の発症でした。そういった状態をチェックする手段として、行政では保健師さんによる“新生児訪問”がありました。特別にお願いして新生児期を過ぎた後も保健師さんに来てもらい、不安や悩み、“頑張りたいのに自信が持てない”苦しい胸の内を聞いていただきました。
赤ちゃんの計測で「かわいいですね-。とっても健康で順調に育っていますよ」などの言葉で、少しずつ少しずつ自信をつけていったのでした。
安徳天皇の話は、本で読んで“悲惨な話”として心に残っていたのかもしれません。出産によって“母性”が目覚め、記憶の片隅から一気に甦ってしまったように感じました。あとから思えば、そんなことも母に話して聞いてもらえば良かったわけで、赤ちゃんだってちょっと泣いたくらいでは大丈夫だったはずです。ホルモンバランスの崩れに伴って、私の生真面目さ、異常な責任感の強さが“産後うつ”の原因になったような気がします。
[チャーミー小結 * プロフィール]
フリーランスで働く1児の母。慣れない子育てに悩み、保育士資格の勉強や、子育て支援サポーターのリーダーとして活動した経験を持つ。今は自宅の庭で母猫や母鳥が子育てしているのを、ママ仲間として見守っている。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。