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「ロボットみたいな右耳」と言われ傷つき、「右耳も普通の耳だったらいいのに」と思った日々【耳垂型小耳症体験談】

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高宮大稔さん(ひろとし)さん(23才)は、生まれつき右耳が小さい小耳症の症状があり、10才のときに札幌医科大学 形成外科 四ッ柳高敏先生の耳介形成手術を受けました。現在は筑波大学医学群医学類5年生で、形成外科医を目指して勉強しています。高宮さんに、小耳症であることの経験や、手術を受けて起こった変化などについて話を聞きました。
(上の写真では右耳の軟骨部分がなく、耳たぶだけの様子がわかる)

「なんで耳が小さいの?」と聞かれる苦痛

1才を迎えるころ。お父さんの実家にて

――高宮さんの小耳症の症状について教えてください。

高宮さん(以下敬称略) 僕は右耳の穴がふさがっていて、耳の軟骨などはなく耳たぶだけがある状態で生まれました。聴力は、左耳は正常で、右耳は小さい音は聞こえません。ただ、補聴器をつけなくても聞こえるくらいの聴力はありました。物心ついたときから聞こえにくいな、と感じていたとは思うんですが、左耳で聞こえるということと、両耳で聞いた経験はないので、この状態にあまり不便さは感じていませんでした。

――耳の形について、小さいときに人と違うな、と気づいたことなどは覚えていますか?

高宮 幼いころから、自分の耳は小さいな、みんなと違うな、なんでだろうと思っていました。僕は高校生までずっと丸坊主だったので、だれが見ても僕の耳が小さいことがわかるんです。小学生になると、友だちから「なんで耳が小さいの?」「右耳がロボットみたいだね」って言われるように。子どもだから悪気がないのはわかるんですけど・・・嫌でした。

友だちに聞かれるたびに「小耳症っていう病気なんだよ」と説明すると同時に「なんで僕の耳はこんな耳なんだろうな」って。帰宅して母親に、よく「今日学校でこんなふうに言われて、すごく嫌だった」「なんで僕はこんな耳なの?」と言っていました。

――そんなときお母さんはなんと答えていましたか?

高宮 僕はウルトラマンが大好きだったんですけど、「ひろは小耳症っていう病気を抱えながらも、みんなと同じように元気に育ってくれてるウルトラマンみたいな子なんだよ」とよく話していたのを覚えています。耳のことを言われて落ち込んでも、「ウルトラマンみたいな子」って言われると、うれしくなって元気が出たことを覚えています。

――髪型を丸坊主にしていたのには何か理由が?

高宮 僕の母は、小耳症であることを後ろめたいと思って生きてほしくない、堂々と生きてほしいという思いが強くあって、僕を丸坊主にしたのだそうです。髪の毛を伸ばせば隠すことはできますが、僕の母はあえて、耳を出すことを選びました。その思いが伝わっていたので僕も受け入れていましたし、高校生まで地元のクラブチームでサッカーに打ち込んでいたので、髪が長いと邪魔だから坊主は便利だな、と思っていました(笑)。高校1年生で受験準備のためにサッカーをやめるまではずっと丸坊主でした。

右から話しかけられたら、その人のほうに向く癖が

3〜4才のころ、お母さんとおばあちゃんとお出かけしたときの様子

――聞こえにくいことで困ったことはどんなことですか?

高宮 僕は小学校4年生のときに耳介形成手術を受けましたが、それは耳の見た目を健全な人と同じようにするもので、聴力は改善しないので、今も右耳は聞こえにくい状態です。右側から小さい声で話しかけられると、聞こえません。そういうときには、声をかけてきた人のほうに何気なく顔を向けるようにしています。向かい合えば左耳で声をひろえるようになり、ある程度会話ができるんです。

これまでたくさんの人たちと出会ってきた中で、右耳が聞こえないことを毎回説明すると時間がかかるので、話しかけた人のほうを向く、というのは小さいときから自然と癖のようになっています。向かい合っても、相手の声が小さくて聞き取れないこともあって、そういうときの最終手段として、よく聞こえなくても「ああ、なるほどね」と相づちを打ってごまかすこともたまにあります。

――それでトラブルになったことなどはありますか?

高宮 とくに今までトラブルになったことはないです。もしかしたら、話しかけられて気がつかなくて無視したようになってしまった可能性もあるかもしれませんが、それを指摘されたこともありませんし、その自覚はありません。

――10才で手術をするまで、耳が小さいことで困ったことはどんなことでしたか?

高宮 マスクがかけられないことです。僕の右耳は耳垂(じすい)型小耳症といって耳たぶだけがあるタイプで、軟骨のかたい部分がないので、マスクのゴムを引っかけられないんです。
学校でマスク着用しないといけないときにできなくて、僕の耳のことを知らない先生に誤解されて「マスクをしなさい」と強く怒られた経験もあります。学校生活ではマスクができないことの不便さやストレスを感じていました。

10才で耳を作る手術。肋軟骨を取った痛みは眠れないほど

――10才で耳介形成手術を受けることが決まったのはいつごろのことですか?

高宮 4〜5才くらい、幼稚園児のころでした。母が手術のことを調べ、当時弘前大学にいた四ッ柳先生の診察を受けました。母は先生に会ってすぐに「この先生なら任せられる」と思ったらしく、手術を受けさせようと決心したそうです。そこから毎年1回、診察を受け、耳や体の成長の様子を見てもらっていました。正式に手術の予約をしたのは小学校3年生のときだと思います。

――高宮さん自身も、手術を受けたいという気持ちでしたか?

高宮 幼稚園のころに四ッ柳先生に出会って、この先生に耳の手術をしてもらうんだ、ということになんの疑問も持たずにいました。四ッ柳先生を見ていて、お医者さんってかっこいいな、あこがれるな、という気持ちで尊敬していたので、手術がこわいとか、したくないと思ったことはないです。「右の耳も普通の耳の形だったらいいな」という思いはずっとありましたし、手術をしたあとに自分の耳が作られることにワクワクしてました。

でも、小学校4年生のとき、実際入院してから1回目の手術を受けるまではやっぱり怖かったです。僕が入院した日、同部屋に小耳症手術が終わったばかりの子がいて、痛みで動けない様子を目にしたのは衝撃でした。

――手術後の痛みはどのくらいのものなのでしょうか。

高宮 耳介形成の1回目の手術は、子ども自身の肋軟骨を採取して、それで耳の形のフレームを作り、耳の位置の皮膚の下に埋め込むものです。
もともと何もない耳の位置の皮膚の下に軟骨を入れるので、その部分はつれるような痛みがあり苦痛でした。
それよりももっとつらいのが肋軟骨を取った痛みです。肋軟骨を取った右のわき腹あたりが呼吸をするだけでもものすごく痛いんです。痛み止めの坐薬を入れても痛みは抑えられず、体を少し伸ばすだけでも痛くて横になれないので、手術当日の夜は座って寝ました。
さらに、麻酔が覚めたときの吐きけもひどく、泣きながら夜中に何度もナースコールを押して吐き続けていました。手術の日の夜は痛みと吐きけで一睡もできませんでした。

耳の痛みは数日で落ち着きましたが、わき腹は動けないほどの痛みが3日ほど続き、退院するまでの2週間くらいずっと続いていたと記憶しています。つらかったです。

初めてできた、自分の右耳。マスクができた感動

大学2年生の1月、成人式にて

――耳介形成手術は、1回目では肋軟骨を埋め込む手術、2回目ではその耳を立ち上がらせる手術をするそうです。2回の手術を経て、できた自分の耳をどう感じましたか?

高宮 1回目の手術は小学校4年生、2回目は小学校5年生で受けました。1回目のときは、耳は頭にペタンとくっついた状態なんですが、それを2回目の手術で、頭から離して起こすようにします。2回目の手術後は耳の痛みはありますが、肋軟骨も取らないので1回目に比べると軽いもので、手術翌日にはスタスタ歩けるくらいでした。

2回の手術を経て立体的になった耳を見て・・・、ただただ「すごいな」と感じました。1回目の手術では、耳は頭にくっついていてぼこぼこしているので、あまり耳ができた実感はないんです。それが、2回目の手術後には、左耳と同じようなしっかりした耳に。「やっと僕の耳ができたな、やっと終わったんだな」と感じました。

――学校のお友だちの反応はどうでしたか?

高宮 2回の手術を終え、退院後にすぐ登校したんですが、友だちは僕の右耳を見て「え〜、すげぇ!」「触らせて!」という反応でした。ちょっと痛みはあったので「優しく触ってね」と言ってみんなに触ってもらいました。

――右耳ができて、生活に変化はありましたか?

高宮 聴力に関して変化はないですが、マスクができるようになったのが本当に大きかったです。小学校5年生までマスクができない人生だったので、生まれて11年目にしてマスクがやっとかけられたときには、感動しました。それだけのことだけど、僕にとっては大きな変化です。

――周囲の人との接し方での変化はありましたか?

高宮 右耳は、よくよく見たら少し厚みがあるとわかるんですけど、パッと見は普通の耳と変わらないので「なんで耳が小さいの」と言われることがまったくなくなったのはよかったです。

――「なんで小さいの」と言われることがかなりの負担だったんですね。

高宮 嫌でしたね・・・。自分が普通に生活しているときはそこまで不便もないし、自分を障害がある人間だと思っていないんです。それが「なんで小さいの?」と聞かれることで、自分は障害があるんだ、と自覚させられるのが嫌だったんだと思います。見た目を不思議に思うのはしかたがないので、聞いてくる人のことは悪いと思わなかったですが、いろんな人に何度も聞かれるのは嫌だな、って、思っていましたね。

だけど、そんなふうにみんなから聞かれることを見越して、僕の母は、僕の髪型を丸坊主にしました。僕が小耳症である自分に自信を持って堂々と生きてほしいという思いだったのでしょう。そのかいあってか僕は、今、小耳症であることをまったく引け目に思っていません。むしろ小耳症だからこそ四ッ柳先生にも出会え、医師になる目標ができたとプラスにとらえています。

【四ッ柳先生からコメント】耳を治すことで子どもたちに自信がつく

小耳症の子どもが生まれてきたときの親御さんの思い、そして物心ついたときからの子ども自身の思い、さまざまな葛藤があったことと思います。小さいころから彼の成長を見てきましたが、親御さんから温かな愛情を受け、またその気持ちに応えるように、立派な大人になった姿に感慨もひとしおです。
1回目の手術時の胸の痛みはつらかったことと思います。ただ、現在は術後に硬膜外麻酔(こうまくがいますい)を行っているので、術後の痛みは軽減され、手術翌日から歩くことも可能になりました。

私が治療した小耳症の子どもたちは彼を始め、今社会のさまざまな分野で活躍しています。もともと耳が少し小さい以外はまったく普通の子たちです。しかし、耳を治すことによって、自分に自信がつき、それが社会の中でちょっとずつプラスに働き、ほんのわずかでも社会全体への貢献につながっていくのであれば、こんなにうれしいことはありません。

お話・写真提供/高宮大稔さん 監修/四ッ柳高敏先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

監修/四ッ柳高敏先生

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