570gで生まれた赤ちゃん。72時間の生存率を聞き、頭が真っ白に・・・。「のぞみはきっと大丈夫」と夫婦で言い合い過ごした日々【体験談・医師監修】
妊娠23週のときに570gで生まれた松浦のぞみちゃん(1才7カ月)。パパの一貴(かずき)さん(会社員・36才)、ママのあかねさん(助産師・32才)、お姉ちゃん(7才)、お兄ちゃん(5才)の5人家族です。あかねさんは「早く産んでしまった」と自分を責めたそうです。一貴さんは、「のぞみがママに早く会いたかったから生まれてきてくれたんじゃないかな」と声をかけ続けたと言います。のぞみちゃんが小さく生まれて心配だったことや、成長の様子について、パパの一貴さんに聞きました。
生存率を聞き、頭が真っ白に・・・。コロナ禍で会えないつらさを抱えて
――妊娠23週で、帝王切開で生まれたのぞみちゃん。体重は570gだったそうです。産後に赤ちゃんの健康について医師からどんな話がありましたか?
一貴 妻は出血とおなかの張りがあったことから妊娠22週から入院していたのですが、妊娠23週で陣痛がきてしまい子宮口も開いてきたことから、緊急帝王切開で出産することになりました。産後、医師からの説明では、生後72時間が勝負ということと、生存率は一般的には80%くらい、と言われました。赤ちゃんにとって最初の72時間は、子宮外の世界に適応するために体の中が大きく変化する時期で、とくに超低出生体重児の場合、脳室内出血、肺出血など命に関わる重篤な合併症が起きやすい時期なのだそうです。つい数時間前、分娩室から保育器に入って運ばれた娘に会ったところでしたから、生まれたばかりの命なのに72時間持たないかもしれないと知り、頭の中が真っ白になりました。
医師はそのほかにも肺の疾患や障害が残る可能性の話などていねいに説明をしてくれたんですが、全然整理がつかないほどショックでした。しかもコロナ禍のために入院中の妻以外の家族の面会は2週間に1回と決まっていたため、その72時間も会うことができないと言われてしまいました。
――72時間、一貴さんはどんな気持ちで過ごしていましたか?
一貴 ただ生きてほしいと願うことしかできませんでした。生まれたばかりの娘に会うことも、声をかけてあげることもできない。何もしてあげられず、ただ時間が過ぎるのを待っていました。早く時間がたってほしくて何度も時計を見て、心配でほとんど眠れませんでした。その3日間は仕事はしていたんですが、自分が何をしていたのかほぼ覚えていません。
入院中の妻は、娘の様子や状況を連絡してくれました。1日たったときに経過は順調と知らせてくれましたが、安心できませんでした。
やっとわが子に会えたのは生まれてから2週間後
――その後、のぞみちゃんに会えたのはいつでしたか?
一貴 妻は産後1週間で退院し、退院後も毎日面会ができたので、妻が毎日面会で撮ってきてくれるのぞみの写真を上の子たちと一緒に見て「かわいいね」と会える日を心待ちにしていました。
2週間後にやっと会うことができた娘は、写真で見るよりもずっと小さいと感じました。そのときは面会の時間制限がなかったので、保育器の娘に触れたり、看護師さんがおむつを替えるのを手伝ったりしました。
やっと会えてすごくうれしかったんですが、NICUの医療機器の「ピーピー」とアラーム音が鳴ると、何か異変があったのでは、と不安にもなりました。
その日の面会のあと、新型コロナウイルスの感染状況が拡大したため、妻以外の家族は面会禁止になってしまいました。妻は毎日面会はできましたが時間は15分だけ。片道1時間の距離を電車とバスを乗り継いで毎日通っている妻も、精神的にも疲れただろうし、娘に会えない時間が寂しかったと思います。
――あかねさんもつらい気持ちだったと思いますが、どんな言葉をかけていましたか?
一貴 「早く産んでしまった」と自分を責めていた妻には「のぞみがママに早く会いたかったから生まれてきてくれたんじゃないかな」と伝えていました。
それに私も後悔していることがあります。それは、出産前に入院中の妻とLINEでけんかしてしまったこと。大変な時期に母体にストレスを与えた自分にも原因があったのだろうと申し訳なく思っていました。
コロナ禍、厳しい面会制限でNICUの娘に会えない不安
――NICUに入院中、のぞみちゃんの健康状態で心配なことはありましたか?
一貴 のぞみは慢性肺疾患といって、未熟な肺で呼吸をしなければならず、呼吸器の圧力などで肺自体が傷ついてしまう状態だったそうです。のぞみの場合はとても重症で、呼吸器のサポートをかなり強くして、炎症を抑えるステロイド剤を大量投与する治療を行ったそうです。生後2カ月のとき呼吸状態がかなり悪くなってしまい、医師からは妻に「状況は厳しい、覚悟をしておいたほうがいいかもしれない」と説明があったと聞いています。
さらにその時期、新型コロナウイルスの影響で2週間ほどいっさい面会禁止となり、そこからは妻も娘にまったく会えなくなってしまいました。
――厳しい状況で面会もできないとは…つらいですね。
一貴 妻もずっと不安でいっぱいだったようです。妻は普段は心配事があっても簡単には表には出さないタイプですが、そのときは「のぞみがいなくなってしまうんじゃないか」と、胸の内を打ち明けてくれました。
私も心配でたまりませんでしたが「もしかしたら・・・」と考えてしまうと、不安が現実になってしまうんじゃないかという怖さもあって、「のぞみはきっと大丈夫!信じよう」と妻に伝え、そう言葉にすることで自分にも言い聞かせていたんだと思います。
会えなかった2週間でのぞみは持ち直してくれ、それから少しずつ呼吸状態もよくなっていき、妻の面会が再開になったころには、保育器からも出られ、呼吸器も外れていたそうです。本当によかったです。
――その後、のぞみちゃんはいつごろ退院しましたか?
一貴 そのあとは順調に回復してくれました。入院中、ほかには未熟児網膜症でレーザー治療を1回行い、慢性肺疾患があるため酸素投与は続いていましたが、生後約半年で退院することができました。体重は4800gと成長してくれました。初めてのぞみを抱っこすることができたのは、この退院のとき。うれしくてホッとして、涙が出ました。家に帰ってきてからは、上の子と私と3人でのぞみを取り合うように抱っこしたことが忘れられません。
のぞみのペースで、少しずつ成長する力を信じたい
――小さく生まれたのぞみちゃんの発達の面で気になっていることはありますか?
一貴 今、のぞみは1才7カ月。修正月齢では1才3カ月なんですが、つかまり立ちの練習をしているところで、まだ歩けません。おすわりができたのも1才ごろだったので、発達は全体的に遅れています。
保育園も修正月齢に合わせ、学年を1つ下げてもらっています。それでもほかの子と比べると少し遅れているようですが、のぞみのペースで成長すればいいと思っています。
――のぞみちゃんの成長の様子を見て、パパとしてどんなことを感じていますか?
一貴 今までつかめなかったおもちゃが自分でつかめるようになった、そんな1つ1つの小さな成長がすごくうれしいです。反面、成長する寂しさもあります。まだまだ赤ちゃんでいてほしい、みたいな(笑)。のぞみが歩けるようになって一緒にお散歩できるのもうれしいけど、ずっと抱っこしていたいな、という気持ちも正直あります(笑)。
ほかの子と比べると小さいので、不思議に思われたり、大変だね、と声をかけられることがあります。でも、のぞみは大変なことをたくさん乗り越えて成長してきた、とっても強い子だと思います。もし、私と同じように小さく生まれた赤ちゃんのパパがいたら、子どもの成長する力を信じて、受けとめてあげてほしい、と伝えたいと思います。
【あかねさんより】夫がいてくれたから心がつぶれずにすんだ
のぞみがNICUに入院している間、面会に行くだけでもすごく疲れたし、3時間おきの搾乳もあり自分のことで精いっぱいで、精神的にも不安ばかりで、上の子たちのことも考えられず家のこともできませんでした。それを全部サポートしてくれた夫は、本当に心強い存在でした。私は夫がいなかったら心がつぶれてしまっていたと思うんです。不安なときに前向きな言葉で支えてくれ、感謝しています。
【小嶋絹子先生より】のぞみちゃんの生きる力と家族のサポートで、笑顔いっぱい成長してほしい
小さな体で、必死に生き抜いて、いくつものハードルを乗り越えてNICUを退院したのぞみさん。パパがおっしゃるように赤ちゃんたちの生命力は本当に強くて、いつも私達スタッフは驚かされるばかりです。発達面の心配事もあるのですが、今後ものぞみさんの力と家族のサポートで、笑顔いっぱいで1つ1つ乗り越えていかれると信じています。
お話/松浦一貴さん、松浦あかねさん 監修/小嶋絹子先生 協力/板東あけみ先生 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部
あかねさんは新潟県のリトルベビーサークル「こめっこくらぶ」の代表をしています。小さく生まれた赤ちゃんの成長を記すための、母子健康手帳のサブブックであるリトルベビーハンドブックを、新潟県でも作成・配布することを目指して活動中です。
また、2022年11月17日の世界早産児デーに合わせ、12月17日(土)〜22日(木)に新潟県民会館で、小さく生まれた赤ちゃんたちの成長の様子などの写真展を行うそうです。
●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は記事執筆当時の情報であり、現在と異なる場合があります。
小嶋絹子先生(こじまきぬこ)
PROFILE
新潟大学地域医療教育センター 魚沼基幹病院 地域周産期母子医療センター/小児科部長・特任助教。2001年新潟大学医学部卒業。小児科学教室に入局し新潟県内の関連病院で勤務。2015年より現職。小児科専門医、周産期専門医・指導医(新生児)、国際認定ラクテーションコンサルタント。