娘を可愛いと思えない…産後うつ状態を救った医師の言葉
3人の子どもを持つママライター“ぱんこ”です。28歳で結婚、第1子を妊娠した私は、つわりがひどく、勤めていた会社を退職しました。当時、思い通りにならない育児に焦りと不安ばかりを感じ、生まれたばかりの娘をかわいいと思えなかった私の「産後うつ状態」体験をお話します。
予期せぬ妊娠から「産後うつ状態」へカウントダウン開始
第1子の妊娠は計画的ではなく、妊娠がわかった時は驚き、戸惑いました。その後はひどい「吐きづわり」に襲われて、勤めていた会社の退職を決意。退職後、夫からの「無職だから、家事くらいきちんとして」、「主婦は暇で良いよね」という発言に傷つき、家出をしたこともありました。
出産は、予定日を過ぎていたため、誘発剤を使っての分娩に。そこから36時間後にようやく出産できました。私が苦しんでいる横で、夫はネットゲームに夢中。おそらくこの光景を一生忘れることはないでしょう。
退院後は私の実家で過ごしました。出産から1ヶ月経過しましたが、母乳育児が思うようにいかず、途方に暮れて涙する毎日。今振り返ると、妊娠からすでに心が折れている状態だったのだと思います。
生後2ヶ月、子どもをかわいいと思えず焦燥
私は、母親学級や退院指導、育児書で得た知識をもとに育児に励みました。しかし、現実は思い通りにはいきません。長女は思っていた時間以上に眠っていることが多いうえ、一度泣き始めると何をしても無駄。いつも途方に暮れていました。向き合えば向き合うほど、「かわいくない」と感じてしまうのです。
夫に協力をお願いしても「落としそうで怖いから」と、言い訳ばかり。長女を抱くことすらしませんでした。
そんな中、退職した会社の女性から「幸せでいいね、うらやましい」というメッセージがスマホに届きました。心身ともにボロボロだった私は「私が幸せ? こんなはずじゃなかったのに」と怒りが湧き、その日からすべてのSNSを無視しました。
自分の気持ちに蓋をして、淡々と長女の世話をする毎日。新生児訪問では、保健師さんに状況を聞かれても、「大丈夫です」と、嘘をついていました。
生後5ヶ月、偏食が新たな不安の種に
長女が5ヶ月を過ぎた頃、離乳食を始めました。長女は、食べることは好きでしたが、おかゆが苦手。お気に入りの野菜ばかりを食べて、他には見向きもしませんでした。それで大丈夫なのか、心配が積もりに積もった私は、食べさせようと毎回必死。すると長女は、野菜も食べなくなってしまいました。周りの人からアドバイスをもらいましたが、不安は増すばかりでした。
また、長女には食物アレルギーの疑いがあったので、離乳食は慎重に進めていました。それなのに、長女を連れて、初めて夫の実家に滞在した時のこと。長女が泣く度に、一度も与えたことのないジュースを親戚が飲ませようとしたのです。
今では厚意だったと理解できますが、当時の私は怒りしかありませんでした。
夫の実家でこれ以上長女を泣かせまいと、抱っこ紐で片時も離さず過ごしました。
産後10ヶ月、ついに私の体に異変が
ある日の夜、私は生理痛とは違う激しい腹痛に襲われました。床に転がり悶絶しながら家族に訴えるも、長女は大泣き。さらに夫は、長女を泣き止ませるよう命令してくる始末でした。
なんとか病院へ行った私の診断結果は、急性虫垂炎でした。茫然自失のまま手術を受け、入院と投薬治療のため完全に断乳。手術着に母乳が染み出ているのを見て涙が止まりませんでした。
でも、手術後、医師からこんな言葉をもらったのです。
「お子さんは大丈夫。よく頑張ったね。いい機会だから、ママもお休みもらおうね」
心にかかっていた霧が一気に晴れたように気持ちが楽になりました。医師からもらった言葉と入院をきっかけに、ようやく「なんとかなる」と思えるようになったのです。
退院後、長女は断乳をきっかけに何でも食べるようになり、すぐに歩き始めました。それまでは、漠然とした不安といらだちで、自分の子どもを含め、世界中が敵のように感じるばかりでした。でも、虫垂炎での入院をきっかけに開き直ってからは、長女と夫をおおらかな気持ちで受け入れられるようになりました。そして、長女が意思表示するようになると、夫はようやく子どもの相手を楽しんでくれるようになりました。今では、「産後うつ状態」は子どもと真剣に向かい合った結果であると、プラスに捉えています。
[ぱんこ*プロフィール]
夫と3人の子どもと暮らすママライターです。28歳で結婚、妊娠し、勤め先を退職。長女出産後、転勤族かつ専業主婦になりました。今は、子育てをしながら少しずつ在宅ワークをしています。アレルギー持ちの末っ子に振り回される毎日。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。